映画 プリキュアオールスターズみんなで歌う 奇跡の魔法!


【予告編】『映画プリキュアオールスターズ みんなで歌う♪奇跡の魔法!』予告編

 

 

公開初日に見ました。新宿バルト9

 

娘と一緒なので、最高ですよ。映画についての小賢しい私の感想は不要です。

 

初日なので?、一人で来ている大きいお友達が沢山いました。

マネー・ショート 華麗なる大逆転(2015)


『マネー・ショート 華麗なる大逆転』予告編

 

2016年劇場鑑賞3作目。『マネー・ショート』(原題:The big short)かなり多くの人が言ってる事だが、今回の映画邦題は極めてよろしくない。*1

 

原作の本「世紀の空売り」は最高なドキュメントだった。しかし、本作は、映画単体として見ると、それほどではなかったように思う。まあ、映画化しただけでも価値があるのかもしれない。

 

一つ社会的観点から感じたこと。本作は一応、「弱者を食い物にする資本主義の欺瞞を撃つ」という立ち位置にある。それがアカデミー賞レースでも注目された一つの背景になっている。しかし、この映画内で描かれているような「騙された庶民」側の人たち当人方は、文化的・金銭的事情から、この映画を見る事もないし、この映画の存在すら知らないのではないかと思う。映画を作って、見て溜飲を下げているグループと、本当の困っているグループの「交わらなさ」。一つの国の中のそうした非常に大きな「格差」「分断*2」こそが、今の大統領選の(表現が適切かは分からないが)「混迷」に繋がっているのではないかと思った。

 

役者としても登場しプロデューサーでもあるブラッド・ピットの、本作含めそのリベラルな姿勢・活動は偉いとは思うけれど、「あなた"シャンパン・ソーシャリスト"じゃないの?」とは思わざるをえなかった。特に、今回の役柄の方、それを自ら暗示してしまっているようにしか見えない。

 

純粋に映画についての感想を幾つか。
・主役? クリスチャン・ベイルは凄いすね。
・あと、全く日本市場を意識していないと思しき本作に(原作には全く出てこない)「村上春樹(1Q84)」「徳永英明(最後の言い訳)」が使われてたのが意外。
 

 

世紀の空売り―世界経済の破綻に賭けた男たち (文春文庫)
 

 

 

階級「断絶」社会アメリカ: 新上流と新下流の出現

階級「断絶」社会アメリカ: 新上流と新下流の出現

 

 

*1:ついでに、日本の広告のアートワークも良くないぞ。

*2:少し前に読んだチャールズ・マレーのComing Apartを最近良く思い出すのです。

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII 岸見一郎、古賀史健

 

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

一般に、大ベストセラーの続編というのは、読み手の期待値が上がってしまうので、少し肩透かしになることが多いと思う。しかし、これは素直に良かった。


特に、教育・人材育成にフォーカスした内容なので、そういう事に意識が向いている人にはドンピシャだと思う。もっと言うと、世の中には、アドラー心理学が「ハマる」「刺さる」タイプの人々というのが居ると感じられ、私は多分その一人。言ってみれば、本シリーズのタイトルに強調されている「勇気」が足りなくて苦労しているタイプ。なので、前作が良かったと思う人は、今作もかなりの確度でフィットすると思う。

 

この本は前作もKindleで買ったのだが、今回もそうした。「ハイライト」して記録して、後で読み返したい、と思うところが多かったためだ。そして実際に、沢山ハイライトした。ということは、内容濃く編集されているのだと思う。編者の古賀さんの仕事だろう。

 

以下は、ごくごく一部。

 

これは親子であれ、あるいは会社組織のなかであれ、どのような対人関係でも同じです。まずは親が子どもを尊敬し、上司が部下を尊敬する。役割として「教える側」に立っている人間が、「教えられる側」に立つ人間のことを敬う。尊敬なきところに良好な対人関係は生まれず、良好な関係なくして言葉を届けることはできません。

 

哲人 わたしはあなたに一方通行の「尊敬」を求めているのではありません。むしろ、生徒たちに「尊敬」を教えてほしいのです。青年 尊敬を教える?  哲人 そう。あなたが身をもって実践することによって、尊敬するとはどういうことかを示す。尊敬という対人関係の土台を築く方法を示し、尊敬に基づく関係のあり方を知ってもらうのです。アドラーは言います。「臆病は伝染する。そして勇気も伝染する」と。当然「尊敬」もまた、伝染していくでしょう。

 

分業について、アドラーはこんなふうに語っています。「人の価値は、共同体において割り当てられる分業の役割を、どのように果たすかによって決められる」と。 つまり、人間の価値は、「どんな仕事に従事するか」によって決まるのではない。その仕事に「どのような態度で取り組むか」によって決まるのだと。

 

 

全くの余談ながら、岸見一郎先生、NHKの番組で拝見した時、Apple Watchしてらしたような。。

 

 

 

ハーバードでいちばん人気の国・日本 佐藤智恵

 

 

 

 

売れているらしい。

 

最近流行の日本人セルフ慰撫モノかな、と感じていたので、自分からは手に取らなかったのだが、人が貸してくれたので読んでみた。


なんとなく、懸念的中である。序章に顕著だが、著者の「日本は一番人気」「日本が最も注目されている」というくだりは、ほとんどが他国との相対比較のない記述であり、根拠を感じない。僕の好みではない。

 

ただし、第5章で紹介されている、「原爆投下のケース」を使った「モラルリーダー」というテーマの学び、や、福島第二原発所長の増田氏を題材としたレッスンなどは、さすが「ハーバードやな」と思わせる教育内容だ。「こうした事を日本の教育機関がもっと自国で行う、英語で発信することが必要なのではないか」と思いながら読み進めたら、著者もそういう結論で5章を締めていた。結論が同じだっただけに、「日本が一番人気」と不必要(と僕は思う)に推す筆致が気になった。

 

本を売るためのマーケティング戦略なのだろうから、著者の本意なのかどうかはわからない。そして実際に、その戦略で売れているわけだから、それも正義なのかもしれないが。

子どもがひきこもりになりかけたら/上大岡トメ

 

 

 

 

エッセイ漫画なので、とてもライトで分かりやすい。自分のような読書家にとってはライト過ぎる感もあるけれど、世の中に訴えるにはこういう編集はありなのだと思う。

 

本書の監修をしているNPO法人の皆さんの活動には頭が下がる。

 

内容的には、よく理解できるポイントばかりだったが、原因を「親に帰す」論調がちょっと強いかな、とは思った。

 

本書に書いてることだけれど、とにかく、子供には、「小さい頃から失敗をどんどんさせる」ことが大事なのだ、と改めて思う。先回りをしてモノを教えたり、道を作ったりし過ぎないこと。自分は特にこれに注意したい。

 

 

 

「ない仕事」の作り方/みうらじゅん

 

「ない仕事」の作り方

「ない仕事」の作り方

 

 

 

みうらじゅん氏を尊敬する自分としては、前に本書の新聞広告を見た時から「読みたいなぁ」と思っていたのだが、楠木建先生が「大傑作」とツイートしていたのを見てすぐに購入してしまった。


確かに、パンチラインが沢山載っている。純粋なものづくり系業務人達に参考になるかどうかはわからないが、コンサルタントやマーケティング職にとってはものすごく重要なことがたくさん書いてる。

 

これも、私が若い頃に間違っていたから気づいたことです。私の「したい仕事」は世の中にあると思い込んでいました。しかし、どうやら、ない。だったら自分で作るしかない。しかしそこで自己主張をしてしまうと、世の中からすぐに「必要がない」「欲しくない」と気づかれてしまう。そこで自分を消し、あたかも「なかったもの」が流行っているかのように、主語を変えてプレゼンしてみる。すると、人々は「流行っているのかな?」と、ようやく目を向けてくれるようになる。 「自分探し」をしても、何にもならないのです。そんなことをしているひまがあるのなら、徐々に自分のボンノウを消していき、「自分なくし」をするほうが大切です。自分をなくして初めて、何かが見つかるのです。

 


読みものとしては軽くて1時間以内に読み終えることができた。(Kindleで読んだので)ハイライトしたところはたくさんあり、またそれを読み直して自分の仕事と照らし合わせて考える材料としたい。

 

  

ところで、本題とは関係ないところで、良い文章があった。

 

映画館で、鑑賞後のエレベーターのあたりですぐに「つまんなかったね」と、一言で片づける人がいます。それは才能と経験がない人です。

映画は、面白いところを自分で見つけるものなのです。

 

これ、「映画」以外の何かに置き換えても、本当そうだと思う。「映画」を「仕事」でも「上司」でも「顧客」でも当てはまる箴言だ。大げさに言うと、この箴言に本当に共感する人とそうでない人の間で、人間は二分されると思う。

京都ぎらい/ 井上章一

 

京都ぎらい (朝日新書)

京都ぎらい (朝日新書)

 

 

「新書大賞」との新聞広告が気になり読んでみた。 

 

東海道新幹線の中、缶ビール片手に読みたい感じのエッセイ。教養と自虐が上手い文章で表現されており、スイスイ読める。こういう「都鄙論」みたいなのは皆、心のどこかにわだかまりを持っているだろうから、普遍的面白さがあるのだと思う。

 

一章 洛外を生きる、

五章 平安京の副都心、

そして、

あとがき 「七」はひちである 

がイイ。

 

しかし、洛外とはいえ「京都」で育った著者でここまで言われてしまうと、松戸出身の私なぞ(笑)どうしたらいいのでしょうか。

 

ところで、五章では現政権への批判があったのだけど、「山口出身の田舎者さんが何やってるの?」とハッキリ書いたら面白かったのに。