現代語訳 論語と算盤/渋沢栄一
- 作者: 渋沢栄一,守屋淳
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2010/02/10
- メディア: 新書
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日本資本主義の父、元祖と言われる渋沢栄一の代表作。
僕は年間70冊から100冊くらいは本を読むけれど、「この本読めて良かったな」「繰り返し読みたい」と思う本にはそれほど出会うものではない。これはそれに該当する一冊だった。
1916年に書かれた本ということが信じられないくらいに、違和感の無いお話。そのうえ、現代語訳で大変読みやすい。100年以上前に生きた人と対話できる感覚は「本を読んでいて良かったな」と思う瞬間だ。
アンダーラインを引きたくなる場所が沢山ある。
ひとつだけ。
もともと道徳というものをあまり難しく考えてしまい、東洋の道徳でよく見られるように、格式張った文字を並べ立てていると、道徳が茶の湯の儀式のような形骸化に陥りかねなくなる。一種の唱えことばになって、道徳を説く人と、道徳を行う人が別になってしまうのだ。これでは、はなはだ不都合ではないか。
そもそも道徳は日常の中にあるべきことで、ちょっと時間を約束して間違えないようにするのも道徳なのだ。また、人に対して譲るべきものは譲るもの道徳である。人に先んじて人に安心感を与えるのも道徳になる。何かをするのに弱いものを助ける心を持たなくてはならないのも、道徳なのだ。
このようにちょっと品物を売るというだけでも、道徳はそのなかに含まれている。
p.159
本書にて渋沢栄一は「自分は儒教に学んだ」と繰り返し述べているが、
・正しい行いをした結果としての富は否定しない
・自分の行いが社会的に成功するかしないかなど憂えずに、ただ勤勉に励め
というあたりの主張は、キリスト教のプロテスタント(なかでもピューリタン)、救済予定説的な立場を想起せずには居られなかった。
(いわずもがな、これらは今の資本主義を産み出した宗教思想そのもの)
この本を題材にした勉強会を企画したら十分に面白そうだ。