伊集院光が立川談志によって深層心理を見ぬかれた噺(はなし)

僕は、伊集院光立川談志のご両名の事をかなり好きで、(あくまでメディアを通じた芸能人としてだけど)人となりもある程度知っているから、伊集院光によるこの話に感銘を受けたのだろうか。

このお二人のキャラクターを知らないと楽しめない話だろうか。


伊集院光『のはなし』「すきな理由」の話 より 



2年ほど前になるか、自分の担当している深夜のラジオ番組に立川談志家元をおよびした時のこと。
もともと古典落語の道をドロップアウトして今の世界に逃げこんできた僕としては、談志家元は特別な存在で、何より6年間の修行時代にピリオドを打った理由の一つが「名人立川談志」の落語だった。

仕事疲れか、それが素の状態なのか不機嫌そうにスタジオいりした家元。僕は「機嫌をそこねないうちに」とばかりにその話をした。

「僕は落語家になって6年目のある日、若き日の談志師匠のやった『ひなつば』のテープを聞いてショックを受けたんです。『芝浜』や『死神』ならいざ知らず、その時自分がやっている落語と、同じ年代の頃に談志師匠がやった落語のクオリティーの差に、もうどうしようもないほどの衝撃を受けたんです。決して埋まらないであろう差がわかったんです。そしてしばらしくして落語を辞めました」


黙って聴いていた家元が一言。


「うまい理屈が見つかったじゃねぇか」


僕はうまいことをいうつもりなんてなかった。ヨイショをするつもりもない。にもかかわらず、「気難しいゲストを持ち上げてご機嫌を取るための作り話」だと思われている。あわてて「本当です!」と言い返したが「そんなことは百も承知」という風に家元から出た言葉が凄かった。



「本当だろうよ。本当だろうけど、本当の本当は違うね。まず最初にその時お前さんは落語が辞めたかったんだよ。『飽きちゃった』とか『自分に実力がないことに本能的にきづいちゃった』か、簡単な理由でね。もっといや『なんだかわからないけどただ辞めたかった』んダネ。けど人間なんてものは、今までやってきたことをただ理由なく辞めるなんざ、格好悪くて出来ないもんなんだ。そしたらそこに渡りに船で俺の噺があった。『名人談志の落語にショックを受けて』辞めるなら、自分にも余所にも理屈つくってなわけだ。本当の本当のところは、『嫌ンなるのに理屈なんざねェ』わな」



図星だった。もちろん『ショックを受けてやめた』ことは本当だし、嘘をついり言い訳をしたつもりなどなかったが、自分でも今の今まで気がつかなかった本当のところはそんなところかもしれないと思った。10年もの間、いの一番に自分がだまされていたのだから、完全には飲み込めていないけれど。


(以下略)


この『のはなし』というエッセイ集自体が伊集院光の天才性が爆発している凄い傑作なのだが、この話は去年(2010年)の冬に読んで特に印象的で、いつかブログに自分で入力して引用しておこうと思っていた。そして、今朝は少し時間があったので入力できた。

僕がこの話を読んだ時の「談志すげー。なるほどねぇ」という軽い興奮というか、衝撃を、共有してくれた人が居れば嬉しい。「伊集院というのは変わったやつだね、談志ってのはずいぶん当たり前のことを言うね」という感想だったら、それはそれでいいけど。


談志家元の話とか伊集院光*1の話は、書きだすと長くなるのでまた今度。



のはなし

のはなし

*1:伊集院が三宅裕司のヤンパラの代打として深夜ラジオ界にデビューした日、中学生だった僕は部屋でそれを聴いていたのだった。