地震から一週間

断想風に。

  • 一週間経って、東京ではようやく「ボトム」がみえた感じがある。しかし、今も、被災地は苦しい。福島には命がけの東電・警察・消防・自衛隊、が居る。東京人は平静に元の生活に戻ろうとするが、そうした極限状況とのギャップが広がるのはそれはそれで、ツライものがある。
  • これはあくまで「天災」である、と認識を持ちたい。人間は「意味」を見出したいものだから、何かと考えてしまうが、これはただのブラックスワンだ。日本人の心根や日本型のやり方が間違っていた、と単純に反省する必要はない。今、政府やら東電の対応が悪い、と批判する向きもあるが、よくも悪くもこれが日本の今の実力でそれ以上でも以下でもない。今までの日本の成功もまた、ある程度は日本の実力でありそれが変わったわけではない。
  • ただし、これを機に、もっと良いやり方に移行していきたいものである。たとえば、トンデモ発言の石原、セリーグ開催を強行するナベツネ、こういった老人がはびこり、それに何も言えない、日本社会はこれを機に変えるべきだ。こんなのでは、こういう危機に対応できない。また、自衛隊や警察といった国家権力の「暴力装置」。日本人は戦後イデオロギー対立の中でこの「暴力装置」についてうまく想いを作れない状態に置かれてきた。しかし、今回、これらが如何に必要なものか、よく分かったのではないか。これはむしろプラスに持っていかなければならない。
  • とはいえ、人間の意識はすぐには変わらない。東京人は多分、地震前に単純に回帰できれば良い、と思っている人が大半だ。節電はあくまで仕方ないから、と思っているに過ぎない。しかし、色々な層の指導者、エリートは今回の件で、今までにない覚醒をしたはずだ。今回の件による意識変革・体制変革は、ゆっくりと長期的に進む気がする。
  • 関東人・東京人は、二つの意味で「十字架」を背負った。一つは、原発を押し付けてきた地方の人に対する罪だ。もう一つは、これから外国人から「放射能エリア」という風に差別される十字架だ。自分も東京人だけにこの事は残念だが、事実として受け止めなければならない。
  • 混乱の中で、メディアや知識人の本質がむき出しになった。混乱に乗じて政権の足を引っ張る世論操作ばかりしている読売・産経・宗教団体のことは忘れてはいけない。(なお、恐怖を煽る見出しを連発する夕刊紙*1の事は笑って許す。)

*1:東スポの「富士山爆発危機」とか、思わず爆笑して買ってしまいました