震災から一ヶ月以上経ったら、自分が震災以前から興味を持っていた知識人が次々と「小乗」化していってる件

ここ数日のネット論壇を見ていて、タイトル通りの事象(「小乗」宣言する知識人が多い件)が、ちょっと気になっている。


「小乗」とは小乗仏教の事で、その「個人としての悟りを目指す」という意味合い。対して「大乗」仏教とは、衆生一切の救済を目指す思想。

(参考:大乗仏教小乗仏教の違い
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q147509024


「小乗化」の蔓延現象は、とても偶然とは思えない。「全体が良くなって欲しいと思って発言したり頑張ってきたけど、震災後もグダグダなところを見ると、日本はどうやらダメらしい。自分だけでも生き残ろう。頑張ろう」という嘆きを色んなところで目にする。


震災後の政府対応の混乱+ホリエモン収監(法治国家と言えない官僚恣意国家)という合わせ技で、心ある頭のいい人達は、こんな気分になっているのだろう。



茂木健一郎氏・・・僕は「大乗」から「小乗」になった、と断言。
(このエントリはこれがヒントになった。)

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2011/04/post-c5b2.html


小幡績氏・・・あれほどユーモアに飛んでいた天才がキレた。
http://agora-web.jp/archives/1316971.html



それから、
震災後3週目の(4/1)のジャーナリスト 上杉隆氏による「もう啓蒙活動に疲れた。今年いっぱいで、ジャーナリスト廃業宣言」もこの流れか。



さらに、(震災後に知ったことではあるが)、大前研一氏は、相当前から過激に「小乗」化していた。


成毛眞氏の書評より
http://d.hatena.ne.jp/founder/20110428/1303946192

ルール違反かもしれないが本書の最後の言葉の一部を引用してみよう。

「政治家に頼ってはいけない。政府に頼ってもいけない。国がなんにもしてくれないことは、すでに明らかだ。自分自身が頼みの綱と覚悟を決める。」

まったく、そのとおりだと思う。

著者は根本的な解決法として道州制を提案し、建築基準法などを自治体に任せることなどを提案しているのだが、このような大胆な改革が実行されることはないだろう。もはや平均年齢が50歳を超えた国民には大胆な変革を求めるだけの気力はない。それゆえの政府に対しての決別と、自分自身の覚悟が必要だということだ。

著者は下手をするとスペインやポルトガルみたいに400年は停滞したままで行ってしまう可能性があるという。そのうえで「唯一のグッドニュースは、日本の400年の長い衰退のうち、もう早くも20年が過ぎたのだから―」と自嘲してみせる。これにも完全に同意する。

国民も政治家も官僚も司法も結果平等をもとめてきた。その結果としての全体としての衰退である。これからはお上頼りの大多数の人々と、覚悟を決めた少数の人々の間に決定的な格差がつくことになるであろう。しかも、その少数の人々は海外に身を隠すことも覚え始めるはずだ。テレビにも登場しないであろうし、発言も少なくなるであろう。嫉妬が社会的制裁で終わることなく、法的制裁にまでいたる国になった結果である。


こうした傾向が、ネットやブログで色々と発信するタイプの人に限ったものであり、現場で何も言わず黙々と奮闘する人々が居ることを信じてます。