ツイッターとフェイスブック


震災から 1ヶ月以上経ち、4月になってから、ツイッターに登録してみた。ちなみに、フェイスブックは半年くらい前から、ちょこちょこやっている。

ツイッターでは、これまでも、ネットやメディアでフォローしていた有名人(あくまで自分にとっての)系を40名ばかりフォローした。それから、約一ヶ月が経過したので、その感想*1を記してみよう。



・自分の性質をある程度わかっていることから、今まで警戒してツイッターには手を出さないようにしてきたのだが、その予想通り、ただでさえ忙しい自分の時間を確実にツイッターに奪われている。タイムラインがかなりのスピードで更新されていくため、ちょくちょく確認してしまう。*2


ツイッター上のつぶやき(あるいはフェイスブックの近況)は、かなりの部分が「自分ってこんなに視点が鋭いぜ」「自分はこんなに充実した生活をしているぜ」「まあ、どうでも良いことなんだけど、誰か聞いてくれないかなぁ」という欲求で行われ、それに「イイね」とか「リツイート」により、承認欲求が満たされてブーストしていくように見える*3


・従って、瞬間、刹那的な「自己顕示欲」みたいなもがツイッターでつぶやくことによって解消される。そして、ブログを書くエネルギーは失われる。(だから、ツイッターを始めるとブログを殆ど、書かなくなる人が多い)


・昔、ブログを熱心に書いていた人が、今は、「ツイッターでちょこちょこつぶやいて、ブログは週に1回」みたいになっている例が増えている気がする。


・瞬間の「自己顕示欲」って割とプライベートな領域に類することだったり、思いつきだったりするので、思わぬ一面を見せてしまう(見えてしまう)ことがある。それはツイッターの面白さかもしれない。


ツイッターは、瞬間の「自己顕示欲」は満たせるけど、本来的な「力量」を示すには、不向きだと思う。そのためにはやはりまとまった量の文章を書かなくてはならないだろう。


・よく言われることだが、ツイッターフェイスブックは、「キュレーション」や「リコメンド」行為には非常に便利。確かに画期的だと思う。単にキュレーションするだけだったら、本当にツイッターとFBだけで事足りる。(佐々木俊尚方式!?)


ツイッターは、価値観が同じクラスターの中でフォローしあう傾向がある気がする。自分の思考(志向や嗜好)は強化されこそすれ、広がらない。自分のTLでは、石原都知事をDISる人しか居なかった。情報量のわりに多様性は少ないかも。


ツイッター界では既にフォロワー数でかなりの差が着いており、今から参入するのは明らかに後発組。フォロー数を上昇させていくには、積極的な「営業」行為が必要となりそう。でも、その意欲が湧いてくるかどうかが問題。


・140字という制限(フォーマット)はよく考えたものだと思う。ダラダラ掛けないので文章を練り込むということもできるし、自分も含めて怠惰な人間にとって最高な「とにかくラク」という利点も兼ねあわせている。


・コンサルという自分の職業に強引に引きつけると、140字とは一つのスライドのメッセージとして許容されるギリギリの文字数であるような気がする。これから140字チェックを導入してみようか…。


ツイッターのつぶやき、とフェイスブックの近況、って微妙にコミュニケーショのレイヤーが違っている感じがする。ツイッターでは違和感のない発言が、フェイスブックは違和感があったり。このへんはコミュニケーションの機微として大変興味深い。


・それにしても、GoogleリーダーRSSフィード)、ツイッターフェイスブックのニュースフィード、とネットから入る情報が指数関数的に増大している。これでやっていけるのか、本当に必要なのか、自分に必要なのはむしろインプットではなくアウトプット(原稿書き)なのではないか、など考えてしまう。今後、もう少し整理・洗練させていく必要がありそう。


・最大の教訓は「何事も、やってみないと分からないものだ」(毎度の教訓ですが)




ちなみに、試験運転中モードの私のツイッターアカウント(FBには非連動)は当面は公開しない予定でありますが、別に隠すわけでもありません。見つけたらフォローして下さい。

*1:まだ中級者とも言えないレベルだと自覚。レベルが進んでいけば違う感想が出てくると思うが、現時点のものとして一度まとめておく

*2:スマホからが中心

*3:あくまで個人的にそう見えることが多いというだけです…