「ノイジーマイノリティーとの対峙」と「責任回避体質」
ここ2週間くらい、「ノイジーマイノリティ」とどう付き合うかが現代の組織にとって大きなイシューになっている、という事を考えている。
ノイジーマイノリティというのは「やかましい少数派」という意味で、 ネットとそのソーシャル化の進展により、従来だったら点に留まり、大きな力にならなかった意見が、一定のVOICEを持つようになってしまった、ということを指す。
詳しくは、やまもといちろう氏のこのエントリに上手くまとまっている。
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2011/08/post-9f7c.html
さらに、日本の組織やそれを構成する個人が保守化してしまったため、少しでも苦情があると、すぐに撤回・謝罪をしてしまう、あるいは、苦情が全く発生しないような無難なことしかしなくなる、という状況もあるようだ。
仕事で色々な組織を見ていて「苦情を受けないように」という行動原理が強くなり過ぎていることに若干の危惧を持っていたこともあり、この問題が気になっていた。
そんな意識でアンテナを立てていると色んな記事が引っかかってくる。
1:ユニクロが就業時間を7時から16時に変更
柳井会長の鶴の一声で決まったものと思われる。
これは、強いトップが、異論反論を封じ込めて断行する今の日本企業では例外的なケース。普通の会社だったら「不利益を被る少数の社員をどうするんだ!」ということで実施できないものと思われる。
2:まんべくん問題に対する小田嶋隆さんのツイート
なんでも、少し変わった政治的なツイートをした自治体アカウントに抗議が殺到して、アカウント閉鎖、という事件があったようだ。
それに対して、小田嶋さんはこんなツイート。
苦情電話や問い合わせメールによる集団行動が実効的な圧力として機能する事例が続くと、
匿名言論リンチ集団の夜郎自大がますます加速する気がいたしますね。
報道機関の強さのひとつは、「苦情慣れ」しているところにある。インターネットが動き出す以前から、
放送局や雑誌の編集部には、毎日大量の苦情が押し寄せていたわけだから。こういう時代になった以上、
マスコミは、苦情対応のコツを一般企業に向けて公開すべきだと思う。
特定の政治的イシュー(日韓、靖国、尖閣など)や特定の芸能人(AKBとか)は、
面倒くさい親衛隊や活発な圧力団体が関わっていることによって「聖域」化する。と、
これらの分野については、いつしか、誰も言及しなくなる。
3:ほぼ日刊イトイ新聞…ヤマト運輸の記事
ヤマト運輸の社長へのインタビュー。「何をやっても「5%」くらいの疑いは必ず出される。それは割りきって進めなければいけない」と語る。
http://www.1101.com/yamato/2011-08-29.html
それに対して糸井重里はこう返した。
糸井
その5%のほうが目立つんですよね、
ついつい気になってしまう。
ですから、うなづいてくれている
95%の人々のことを忘れないよう、
ぼくは気をつけるようにしているんです。
4:ミクシィの足跡機能改善を巡る騒動
ミクシイは自社主導で行った機能改変に対する、ユーザーからの陳情意見を一旦は切り捨てたが、激しい批判を浴びて譲歩したようだ。
http://getnews.jp/archives/136071
一度は、ノイジーマイノリィだと割り切ったが、それでは押しきれなかったケースだろう。
5:週刊現代に掲載されていた、元アメリカ国務省、ケビン・メア部長のコメント
(大意)日本は技術力もインフラも素晴らしい国。まったく悲観する必要はない。ただ、外国人の目からみて、一つ気になる問題点があるとすれば、「決断・責任から逃げる人が多いこと」。逆に言えば問題はそれくらいですよ。
だという。
まとめ
ホントに日々、色々なことが起きる。
上の5つはバラバラのようだけど、どれも「ノイジーマイノリティ」という同じ論点で考えられるものだ。
実は他にもひっかかている発言や事件はあるのだけれど、疲れるので省略。
長く書いた割に、結局のところ「マイノリティだろうが、なんだろうが、その意見が取り上げるに値するかしないかという判断をする判断力が問われるている」「ネガティブな意見の方が目立つ。でも、ビビリは良くない」というごく当たり前の結論に落ち着いてしまって、オチがないですね。
ノイジーマイノリティを切って捨てる勇気も必要。それこそが、今の日本に足りないものであったりすのだが、単に独善で切って捨てるだけではそれは「独裁」。答えはその間にあるのだと思うが、その「適切なバランス」が、テクノロジーの変化により少し揺らいでいる、皆、どうして良いものか分からないでいる、というような状況なのだろうか。
あと、ノイジーマイノリティーって多分、社会的には強者ではない人々だと思われる。
そうだとして、それを切り捨てて、自分は別の圏域で生きる、とするか、それも包摂してなんとかしようとするか、このあたりも難しい論点であります。