リーダーの値打ち 日本ではなぜバカだけが出世するのか/山本一郎



40代前の論客が、山本七平的な論理と実体験を組み合わせて書いた本で、大体において共感できる主張が展開されている。ただし、文章をもう少し手入れすれば良いのに、と思った。(出版社の責任か)

著者にはすみませんが若干、文意を補って、良かったところを抜粋します。(読みやすくするためであり、文意は一切変えません)

P76

「日本のリーダーにはビジョンがない」という批判は、すなわち日本の社会なり経済なり事業なりにとってお荷物とされる人たちを切り捨てられるだけの精神的なタフネスや、失脚しないだけの盤石な支持基盤を、リーダーが持っていないということを意味します。

P111

増税はけしからん、官僚の数を減らせという割に、市民サービスの切り下げには反対であるとか、もう無理筋という言論がたくさん表出してしまう理由は、極めて簡単です。国民自らが、何を望んでいて、何に優先順位を置き、何を諦めているか、が分からなくなってしまっているのです。

全般的に「リーダーを批判するのは簡単だけど、それ以前に、国民とか社員全体がダメじゃん。それを棚に上げてリーダーを批判して溜飲下げていても何も変わらないよ」という感じの論調で、ここまでは自分もかなり共感するところだ。


この状況への処方箋として、著者は「過度なジェネラリスト志向を組織全体として捨てるべき」ということと「結局はこれを読んでるあなたが自分をリーダーとしてどう鍛えるかという自覚」という二点を主張している。後者は、自助論であり、基本的に賛成なので特に論じない。


論点としたいのは前者の主張。もう少し「全体最適を考えられるエリートトラックの復活」とか踏み込んだ議論が展開されても良かったと思う。最近、海老原嗣生さんもこういった事を提言されているらしいし、やはりそうなるのかな、と。

それにしても、「結局、日本人は大衆レベルが、西洋風の近代人じゃないから駄目なのだ!」という問題に対する処方箋は三つくらい前のブログエントリで紹介した、宮台・大塚の提案に尽きるのだろうか。

と、嘆きたい気分になりつつも、一方で西洋風の近代人がほんとうに目指すべき優れたものなのか、それに西洋の大衆は実際に西洋風の近代人といえるのかどうかよく分からない。このあたりはまだまだ自分自身、勉強していきたいところ。