未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命/片山杜秀


未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)



年初に読んだ堀栄三『大本営参謀の情報戦記』が非常に良かったので、日本陸軍つながりで、昨年来「面白い」と聴いていた本書に手が伸びた。*1


テーマもテーマなので難解な本かと覚悟していたのだが、文章と構成が素晴らしく、スラスラと読め、内容も非常に面白く、勉強になることが多かった。


日本陸軍、といえばこれまで自分は「非合理な精神論を振りかざした集団」というレッテル、偏見に近いイメージを持っていた。これは司馬史観なのかわからないが、とにかくそういう印象があった*2。しかし、本書を読んでそれは(外れ、とまでは言わないものの)単純に過ぎる理解であることが本書を読んで分かった。


陸軍の中にも合理派は少なからず居たのだが、歴史の展開の中で彼らの主張は通らず、最後は精神論が主流を占めるに至った、という流れがあったということである。


その展開がなぜ起こってしまったのか、本書ではいくつかの指摘がされている。


一つのキーワードは「密教」と「顕教」というもので、「合理的に考えたら本当は総力戦では英米列強には勝てないと気づいてはいたが、表向きそうは言えない(真理を書かないので「密教」)ので、マニュアルや方針(顕教)では勢いの良いことだけ言う」やがて「真理を内に秘めてた人達を実権を失った結果、威勢の良いマニュアルだけが一人歩きしていく」といったようなロジックである。


もちろん、これだけで「合理派」が「精神論派」に変化していった理由は語れないだろうし、本書で語られていない組織論的側面も大事だと思う。他にも、本書では触れられていないが「動機の純粋性」を尊重する陽明学思想の影響も考える必要もあるかもしれないと思った。これは、小島毅先生の「近代日本の陽明学」を読んでいたので感じたことである。



昭和陸軍をこの一冊だけで理解しようという方がおかしいのであって、個人的にはもう少し勉強を続けたいが、本書はとにかく読んで勉強になった。


著者は比較的抑制的な筆致ではあるものの、本書には現在への教訓も大いに含まれていると思う。
「身の丈(自然な国力)以上の無謀な突撃は大きな禍根を残す」というものである。

*1:Kindle版があったこともひとつの理由

*2:本書は司馬遼太郎賞を受賞しているそうである