色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年/村上春樹


色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年


自分は小説は全作品読破、エッセイも9割読破、全集を購入して年に何作品かは読み返したりもしている村上春樹フリークだ。そのことを前提に感想を書きたい。(あまりネタバレなし)



本作を読んでみて、64歳になる作家が、今までとあまり変わらないモチーフで、今までと変わらないストーリーを書いたことに驚きを感じた。これを「進歩がない。飽きた。毎度の繰り返しではないか。」と捉える人も居るだろう。しかし、自分は最初から好意的なスタンスであるせいかもしれないが、「これこそが、彼が生涯をかけて追い求めたいテーマであり、それはどんな年齢になろうが、どんなキャリアに到達しようが、変わらないのか。逆に信頼できるわ」という風に感じた。彼が抱えているテーマはあまねく人に響くものではなくて、ごく一部の共感を得る、というタイプのものであり、今のように何十万部も売れるというのは逆に不自然なようにも思う。アマゾンレビューで、全く波長の合わない人が手にとって読んで酷評している文章を見かけると、なんだか切ない。

前作『1Q84*1』は、テーマをかなり拡張し、彼が従来描いて来なかったテーマを幾つか取り込んできたため、長年の読者としても読んでいる最中スリリングだった。このため、「え、1Q84の後に、またこれやるの?」という感じも否めないのは事実だが、それは読者の勝手な期待というものなのだろう。

上記のようにテーマとしては堂々めぐりの感もあるが、文章の方は進化と洗練を続けている。各種の文章技巧、三人称文体、場面の切り替え、比喩や暗喩、ほのめかし的な書き方や哲学・心理学・歴史学・音楽の織り込み方に至っては、超一流の域に達していると言えるだろう。間違いなく現時点で日本で一番文章の上手い書き手の一人である。(という意味では、万人が読んでも良いと思う)

ただし、この超絶技巧を持っている割には、最終盤のあたりで、伝えたいメッセージを割りとストレートに地の文で書いているところは少し気になった。ここでは、村上春樹が「優しくなった」「丸くなった」かな、と感じた。(あるいは、結構売れちゃう状況を織り込んでわざと、優しく書いたのかな、という推測もできる)

本作は彼の作品史的には長編ではあるものの、「国境の南、太陽の西」や、「アフターダーク」的なソナタ作品であり、総合小説を狙って書いた「ねじまき鳥」や「1Q84」の位置づけではない。年齢的なことはあるが、彼がもう一冊、総合小説を書いてくれることを祈っている。

*1:僕は1Q84のBook1と2は素晴らしい作品だと思っている。彼の作品史の中でもかなりの上位扱い。ただし、Book3は、無くても良かったのではないかな、と思う派。