日本の起源/東島誠 与那覇潤

日本の起源 (atプラス叢書05)

日本の起源 (atプラス叢書05)


尊敬する論者の与那覇さん(「中国化する日本」は良かったし、一度聞いた講演も良かった)の対談本なので、購入した。しかし、本書は自分のような日本史知識レベルの乏しい人間にはついていくのは正直、難しかった。お二人の豊富な学識でどんどんスイングするグルーヴ感は伝わってくるのだが、こちらの理解が追いつかない。

特に古代・中世あたりはつらい。そこを飛ばして近世あたりから頑張った。2回読んだが、なかなか消化しきれない。

私の関心は、もっぱら「日本の組織の権力構造、ガバナンスの起源」にあるので、そこに焦点を当ててそこだけも理解したいと思う。

以下はそこに関連する部分で私なりの本書の議論の要約。


やはり日本の中心が「空虚な中心」である天皇(By ロラン・バルト)であることは、大きいようだ。日本では、絶対的な権力者が国を統括する、ということは古代からの歴史を振り返っても一度もない。天皇制は衰微して権力を持たなかったからこそ生き延びてきた。後醍醐天皇路線が続いていたらそこで天皇制は終わっていたかもしれない。空虚というのはある意味では非常に便利な仕組みなのである。被災地に菅直人という権力者が行くと評判が悪い。しかし、天皇が行けば純粋なる慈悲と受け止めることができる。

日本では、個々の末端の組織ではプチ独裁者が出ることはあるが、国レベルではない。そして、互いに拒否権を持つほぼ対等の権力者が複数存在する、という構図になることが多い。穏やかな時代ならそれでも良いのだが、危機になるとどうにもならなくなる。この代表的な例が太平洋戦争前の状況である。統治者(トップ)の俗人的な能力に頼らず、どんな場合でも機能するような仕組みを作るべき、という発想が日本にはない。


p281
しかし、丸山(真男)自身が『日本の思想』で書いているように、日本の場合は理念まで空虚なのですね。戦前であればなんでもかんでも「日本精神」の名のもとに無限抱擁していく。いまだと、「さまざまな外来文化を巧みに取り込むのが日本の個性だ」という、良く聞く物言いが典型です。芯のある理念を掲げて融通無碍な人格に対抗するはずだったのが、理念の方も中身がくるくる入れ替わっちゃってはお話にならない。これでは匙を投げざるを得ないというか、どうせ空虚なものなら、歴史的に見て吸引力のある天皇制の方が実効性は高い。

それから、与那覇さんの以下のような言説が、何か新世代感があって好きだ。50代・60代の言説に飽きた私に新鮮なのかもしれない。

P295
右翼も左翼も実際のところ天皇が歴史の主人公であると暗黙のうちに共有しつつ、ストーリー上の善玉と悪玉のどちらにするかだけを争い続けた。そして、どちらのストーリーが選ばれるかに国民全体の命運がかかっていると本気で信じることができたから、みんながそれに熱くなれた。そのような時代を物語論的には「戦後」と呼ぶのだと思います。


P318
90年代末から保守政権の枠組みが自公連立になるのは、「家職制でOK」という発想の二党がおのずとくっついたということになるのでしょうね。逆に言うと、ムラないしイエに相当する部分を押さえない限り、日本社会では長期性のある権力をとれない。