今後の日本の英語教育(学習)のあり方

斉藤淳先生と安河内哲也先生の対談を拝聴してきた。この対談では、文科省で国の今後の英語教育のあり方を定めるために現在行われている「英語教育の在り方に関する有識者会議:文部科学省」の内容をベースに、英語学習・教育のあり方が語られた。なお、以下はお二人が話されたことを筆者の責でまとめたものである。お二人の発言の区別がつけられていないのは大変申し訳ない。できれば東洋経済オンラインでのお二人の対談もご覧下さい。
 
 
要旨:「四技能(読解・リスニング・ライティング・スピーキング)」をバランス良く育成することが現代の英語教育のゴールだ、というのは既に文部科学行政レベルでのコンセンサス。必ずその方向へ向かう。一方で、義務教育からの膨大なソフト・ハードのインフラが「読解」偏重で出来上がっているので方向転換は容易ではない。しかし、大学入試が四技能測定型になる(時期はともかく既定路線)ことが突破口となり、日本の英語教育は大きく変わって行くであろう。
 

1:小中高大、英語教育の接続円滑化

日本の学力は、英語以外(読解・数学)は世界トップクラスであることは、既に調査で実証されている。しかし、英語だけは世界最低クラスである。これは国のこれまでの教育のあり方に起因している、と文科省も反省をしている。今まで、中学・高校・大学の英語教育がバラバラであった。今後は、各学年において具体的な到達度目標を設けてそこへの到達を目指した教育システムを作るべきだろう。そしてそれらに接続性を求めるなら、既存の英語能力判定試験を題材するのが自然な流れとなる。たとえば、現在の案では高校卒業時点で英検2級から準1級、TOEFLiBTで 57, CEFRならB2を求めるとなっている。ただしこれは、水準としては相当野心的目標であり「全員」をそこに持って行くのは無理だろう。ちなみに、今の普通だと高校卒業だとCEFRならA2くらいだと推定される。この到達目標には「話す」「聴く」「書く」の測定がが入ってきているので、今とは教育の内容そのものが変わっていくだろう。
 
ちなみにこのあと「四技能」という表現が頻出するが「読む」「書く」「話す」「聴く」の4つを意味する。
 
 

2:学校における指導・評価を改善する

 
今回の報告書には英語学習においては失敗を恐れない姿勢を評価すべき、という提言が入った。これとても重要。失敗を恐れない性格が英語を伸ばす。中学から「基本的には」英語で英語の授業をしろ、という提言が入っている。英語を英語で授業することのプラスマイナスはある。エール大の外国語授業は指示も含めて全て外国語だがあそこは学生のレベルが高いからやれている面がある。日本の義務教育で、日本の先生で英語の授業を英語でできるかは不安だろう。ただし、シャドウイング、アクティビティ、矯正などの活動が授業の大半であれば、敷居は一般に恐れられるほど高くはない。
 
英語の授業の指示で使う英語、日本語の比率は8対2くらいで良いのではないか。ちなみに英語学習における理想のインプット対アウトプット比率は8:2だという説もある。
 
ただしオールイングリッシュの授業だと講師によるスキル差が如実に出る。ネイティブ講師であっても差がでる。いいクラスアクティビティーを設計して管理するのは結構大変。これからはアクティヴィティを設計して管理することが必要。予備校も従来の講義形式、有名講師に頼る方式から変わって行くだろう。クラスは20名が限界。
 
子どもを見ていると、知識は十分なのに単に練習量不足で英語が話せていない生徒も多い。
 
 

3:高校大学の評価、入試改革

 
四技能をバランス良く評価をせよ。今までの大学入試は読解偏重。読解が8割程度を占めていた。リスニングの指示が日本語であったりした。これでは英語を通じて日本語力を測定してたようなもの。
 
大学入試の改革は、そこに至るまでの学習に(学習者やそれを取り巻くステークホルダーのインセンティブ)大きな影響を及ぼすという点で重要。従来は、中高の現場で工夫して、一生懸命コミュにカティブルな教育をやっても、高校2年生くらいになると「受験が・・」ということで単語集に行ってしまっていた。スピーキング教育をしていたら親が「受験に役立たない」とクレームをつけてくることもあった。これからは四技能をバランス良く伸ばさないと!という風に変わることが期待される。
 
日本で東大を目指すような高校生なら最初からTOEFL iBTを目指して勉強すれば80は取れる。(80はアメリカの標準的大学入学に必要なスコア)
 
四技能を評価しようとすれば、個別の大学で英語入試を作り判定していたのでは限界である。TOFEL等の専門家のテストを活用せざるを得ない。テストというのはテストの専門家に任せるべき。大学の先生が片手間で出来るものではない。ちなみに、スピーキングやライティングの採点技術もICTやビックデータを活用しており、驚くほど進んでいる。昔のように審査員の主観に左右される、ということは極めて減っている。日本で受けるスピーキング・ライティングの試験も匿名データ化されてアメリカで資格を持ち訓練された人間によって採点されているのだ。発音の採点も機械でかなり正確に出来る時代になっている。
 
このような四技能の判定を世界標準の方法で行おう、という流れに変わると、従来存在した問題の中で、翻訳問題と文法知識問題は無くなることになる。文法知識は、Essey Writingなどの中で付随的に問われるだけになる。ただし、Writingの採点の主眼はメッセージがはっきりしているか、論理構成はどうか、などになり、三単現のSはどうか、などは採点において些末な扱いになる。このパラダイム転換が重要で良い事だと思う。
 
 

4:教科書・教材の充実

 
音声や映像も教科書として認定すべき。今までは教科書検定制度に則り、紙に印刷したものしか文部科学省教科書検定制度に載らなかった。これはおかしな話で、変えなければいけない。
 
英語の教育シーンがそのものが変わってくるだろう。予備校もおそらく、英語部門が独立し、そこは学年でクラスわけするのではなく、英語力でクラス編制するようなかたちになるのではないか。英語教育を突き詰めると、無学年化するものだ。ただし、小学生などでは学年毎の学習特性とのリンクという問題はある。
 
 

5:小学校中学年での英語教育の充実。

 
この段階で英語教育を導入することに賛否はあるが、もう導入することは決まっている。大事なのは「早期教育に焦るあまりに、英語を嫌いにさせないこと」。小学校時代に親に強制されたせいで英語が嫌いになったという学生が実際にすごく多い。音声中心でもいい、好きになってもらうことがなにより重要。二十歳になったときにしっかり話せるようになれば良い。小学生なのに英語ペラペラだ、英検○級だ!というのは親の自己満足である。日本語教育も非常に大事だ。日本人にとっては日本語がL1で、英語はL2だ。L1がL2の土台になるのだからL1を高めることは非常に重要。英語の時間は増やせば他の時間が減るというトレードオフはある。中学や高校での英語の時間を増やすというよりも、今使っている時間をコミュにカティブな教育に変える事の方が大事だ。
 
 

その他

 
日本のこの教育改革が進めば、とりあえず現在の韓国レベルの英語力にはなるだろう。アメリカの大学で教えた経験では、韓国の学生は帰国子女でなくても、英語での専門授業において書けるし、話せる。しかし、日本の学生で帰国子女以外だとこれがほとんどダメだった。韓国では、TOEICのSW(スピーキングライティング)の受験者が25万人。一方、日本は2万人。
 
ピーキングとライティングは本来楽しいもの。自分を表現する。楽器の演奏のようなもの。
 
四技能バランス化の中ではともすると、スピーキングが注目を集める。しかし実は大事(今後の日本にとって影響が大きい)なのはライティングではないかと思っている。エッセイライティングは、パラグラフ展開をするので、論理的思考力や表現力を非常に鍛える。日本の英語教育(業界)を見渡すと、ライティングの指導が一番不足している。安く良く学べるツールや機会が無い。英語のエッセイライティングは本当に分かる人に指導を受けないと伸びない。ButとHoweverの論理における違いなど、しっかり理解する必要がある。
 
英語学習の中で、発音とWritingには、(熟達している)他者からの助言・指導が不可欠。(独学に向いていない)