ジャパン・クライシス:ハイパーインフレがこの国を滅ぼす/橋爪大三郎 小林慶一郎

 

ジャパン・クライシス:ハイパーインフレがこの国を滅ぼす (単行本)

ジャパン・クライシス:ハイパーインフレがこの国を滅ぼす (単行本)

 

 

1000兆円を突破した、政府の借金。
国民1人当たり800万円もの負債がある計算だ。
しかもこの借金、今なお増え続けている。

このまま行けば、ハイパーインフレという、大破局に陥りかねない。
そうなれば、せっかくの資産も一瞬にして失われ、年金制度も破綻。
企業や銀行も次々と倒産し、多数の国民が路頭に迷う……。

政府の借金によるクライシスを回避するには、どうすればいいのか?

憂国社会学者と経済学者が、
〈危機発生の基本的な仕組み〉から、〈破局回避のための改革プラン〉まで、
社会科学の知見に基づいて明快に提示。
全国民必読の書! 
 

 

著者二人の対談講演会にも参加してきたので、その感想も含めて書きたい。

 

橋爪先生が本書に取り組んだのは、社会科学者としての疑問や危機感からだ。すなわち、「社会科学の法則と現実の数値からすれば、日本の財政は持たない、ということは自明のように見えるのに、なぜ専門家達の多くは沈黙しているのか」「ひとたび、ハイパーインフレが起こってしまえば、日本の社会の構造が大きく損なわれるばかりか、知識も働き口もなく、預金しかしていない高齢者(弱者)が損*1をする、それを許していいのか(社会的不公正の最たるものではないか)」という事である。

私などが言うのも大変僭越だが、敗戦という苦難を受けて学問の世界の飛び込んだ小室直樹先生(橋爪先生の師匠)のスピリットを受け継いでの活動であると感じた。

 

「事実を見たらやばそうだけど、もしかしたら、うまく行くかもしれない」

 

これが日本のエリート・専門家集団が、日本という国を第二次世界大戦で破滅に導いた道だった。そして、今の日本の財政状況も同じだ、ということだ。エリート・専門家が、危機に気づいていて黙っているのは、不作為の罪となるのではないか。本書は、専門人の責任に対する問いかけでもある。

 

セミナーでの質疑応答は、民主主義の限界にも及んだ。ある質問者の方が私の疑問を代弁してくれていた。「これではダメだ、ということは一定以上の知識があれば分かること。しかし、(老人が多数を占める)民主主義の下では(解決に多くの痛みを強いる*2)この問題は解決できない。従って、インフレーションは甘受せざるせざるをえないのではないか」という悲観論である。

 

二人の両碩学をしても、この問いに簡単な答えは無かった。

小林教授は「現在の人口縮小と財政の問題は、世界の民主主義史上でも未曾有の状況であり、民主主義の限界へのチャレンジが起きている状況」とおっしゃっていた。

橋爪先生は、「日本人が当事者性を拡張していけるか、が問われている。皆が国の借金を気にしないのは、結局、この借金は自分のものではない、自分がつくったんではない、誰かが勝手にやっているからだ、と思っているからだ。そうではない、これは国民の代表が、国民が作っている借金だ。昔、人々は"イエ"に対する時間を超えた責任を感じて生きていた。しかし、人々はそこから離脱して“自分さえ良ければいい”という時代になり、結果としてその事がこの危機を招いている、とも言える。ひとたびハイパーインフレが来て皆が被害を受けて初めて自分たちが運命共同体だったと気がつくのでは遅過ぎるのではないか」と指摘した。

 

最後に。本書については、経済学の専門でもない橋爪先生が、突然財政について騒ぎ始めた、という批判があるだろう。また、財政の問題については「“オオカミ少年"問題」と思われている部分もある。だから本書については、注目が集まらない、あるいは集まっても、「変わり者」が書いた本、と言われる可能性が少なくない。ただし、本書では、経済学者として実績のある小林先生がファクトに基づいたバランスのとれた意見を出してくれている。また、危機を煽るだけではなく、代替案も幾つか提示してくれている、ということを付記しておきたい。

(もちろん、この問題は、財政危機論に対する反対論も含めて、本書以外の複数の著者を読んで勉強するべきイシューである。本書だけ読んでいるのでは不十分だし、そのように論争が起きることが、両著者の願いでもある)

 

何より「専門家の、社会に対する責任とは何か」という文脈で読むことで、色々得るものがある本だと思う。

 

 

 

 

*1:ハイパーインフレとは、国民から政府への強制的な富の移転である

*2:たとえば、財政健全化の道筋をつけるためには消費税を30%以上にしないといけない、とされる。