原発敗戦 危機のリーダーシップとは/船橋洋一


本当は同じ著者が事故を克明に記録して評価の高いノンフィクション「カウントダウン・メルトダウン」を読まないといけないな…と思っていたのだが、手が伸びない間に、この「日本人と組織」という観点から事故を振り返った簡易版?新書が発刊されてしまった。

野中郁次郎氏・堀栄三氏などの日本軍の失敗研究モノを何冊か読んで来た自分としては、「改めて(日本の弱さ)を確認」というような感じで勉強になった。決して評論家的に感心しているだけでなく、自分の仕事の現場でこの教訓を活かしていくしかないと思う。(実際、活かせる場面は多々ある)

「はじめに」より

日本の組織文化の問題


・絶対安全神話に見られるリスクのタブー視化。年次主義の昇進システムと定期人事異動故の、タフな決定の先送り(リスク回避)

・縦割り、たこつぼ、縄張り争いに足を引っ張られ、「政府一丸」となって取り組めない官僚政治の弊(ヨコのガバナンスの欠如)

・権限と責任を明確にせず、指揮命令系統をつくれないライン・オーソリティの未確立(タテのガバナンスの欠如)

・明確な優先順位を定めない「非決定の構図」と「両論併記」の意思決定方式(リーダーシップの欠如)

・危機の時に「国民一丸」となって取り組む「大きな政治」の不在。(リーダーシップの欠如)

・速やかに損切りし、失敗を失敗として受け入れ、そこから立ち上がるレジリエンス戦略の不在。(リーダーシップの欠如)


「組織」の問題を追う本書の本筋とは違うのだが、本書を読んで改めて感謝なのは、逃げずにベント作業に携わってくれた現場の運転員の皆さんだ。本書では実名を挙げてこの方々の行動を記録してくれている。線量が高い中へ、部下や若手を制して「自分が行く」と言ってくれた方々が居た。もっとこういう方々をヒーローとして賞賛してもよいのではないだろうか。(それはそれで、裏腹に変な危険をはらむのかもしれないが。でも、ちょっと日本はこの種の個人賞賛をやらな過ぎる気がしている)


以下、組織行動論的に印象に残った部分。

・最大の根っこは、あくまで真実を探求する科学的精神の欠如と異論を排除するムラ意識にあるのではないか。「原子力ムラ」などといういびつで同質的な既得権益層が跋扈し、研究者の科学的かつ独立精神を蚕食した。それは科学の敗北だったが、その面からの省察と反省はまだ微々たるものである。科学の敗北を太平洋戦争の敗因の一つに挙げたのは他ならぬ昭和天皇だった。昭和天皇は1945年9月、栃木県日光の湯本ホテルに疎開していた皇太子明仁親王にペン書きの手紙を出した。その中で、「敗因について一事いはしてくれ」として、「我が国人が あまり皇国を信じすぎて 英米をあなどったことである」と「我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたこと」を敗因に挙げた。(高橋紘『象徴天皇岩波新書 1987年2〜3ページ)


情報屋さんが「言い切る」文化が根付いていない。片腕プレゼンが出来ない。政策・作戦側と情報側の力関係や評価の問題が関係している。(P81)

・「絶対」は魔語である。「絶対」という言葉を使ったその瞬間から負けである。(p108)

・「分化」へ「分化」へと傾斜しやすい日本の組織。枝葉末節にこだわりすぎる傾向が過ぎると、森を見失う、いや木さえ見えなくなる。しかしそのことを自体を自らの特殊性と優位性と見なすところにより深い問題が内在している。つまり、自らの取り組みとその仮説と理論を世界とともに人類一般の経験として登録し、新たな文明を築き上げていく意思を欠いているということである。(p115)

・「公務員(上級職)は一カ所にとどまるべからず」この思想と慣行。この名目は、腐敗を防ぐためとされているが内実は違う。行政官を長く同じ部署に置くと、何かあったときに個人の責任を問われるリスクがある。それを回避するために人事を頻繁に変える。それは組織防衛のためなのである。それに、1、2年で交代となれば、その多くがそのポストにいる間はタフな決定を先送りしようとするだろう。「非決定の構図」というリスク回避システムである。(p123)

・敗戦を迎えた時、米軍の方が日本よりも正確な日本地図を作り上げていたという。そのベースとなったのは航空写真だったが、それは今回(原発事故の際)も同じだった。(p145)※作戦の前提として「事実・情報」に徹底してこだわる米国とそれができない日本。