『ウェブとはすなわち現実世界の未来図である』/小林弘人

オビの推薦コメントは大前研一伊藤穣一。これはただ事ではない。



Webの浸透が世の中をどう変えるか、どの程度変えるか、そして、それに対して個人・企業はどう立ち向かうべきか、といった一連の論点については、数年おきに時代の進展を捉えたエポックメイキングな本が出る。代表的なところでは『Web進化論』(梅田望夫,2006)があげられようか。デバイスやサービスの時代に伴う進展度合いに加え、どこまでのレイヤーを射程に入れるか、悲観的*1か楽観的か、などの軸も交わり、毎年色々な立場の本が出る。


本書もそうした流れの中での2014年時点での一冊だとは思うが、個人的にはすごく勉強になった。新しい知見をもらった、というタイプの勉強ではなく、日頃自分が漠然と感じていることを、コンセプトとして提示してもらうことで、もう一度自分の頭の中を整理するのに役立った、という感じの「勉強」である。私がこうした受け取り方が出来たのは、おそらくSNSへの身を投じ方など既にある程度本書の前提となっていることを実践しているからだと思う。この辺を実践で「体感」していない読者にとっては、この本の言っていることは今ひとつピンと来ない、あるいは「書いてあることは分かるけれど、わざわざ本にすること?」といった感想になると思う。


最近は本を「スキャン読み」のように流して読んでしまうことが多いのだが、本書は遇えてゆっくり、考えながら、反芻しながら読んだ。まだ消化できていないよう気もするので、ここではキーセンテンスだと感じたところをピックアップしておきたい。以下のような著者の指摘を受けて、自分はどうするか、自分の仕事をどうするか、を考えることが大事だと思うし、それは楽しい。(そう思える人にとっては本書は最高の材料だろう)


ソーシャルグラフをどうやって構築するかはあなた次第だ。顔見知り未満の人からの友だち申請をすべて認めれば、勝手に大量に送りつけられてくる自己宣伝や、自分の関心とは無縁な投稿がタイムラインに横行するだろう。フェイスブックがつまらないと感じている場合、友だちを整理することをお薦めしたい。受け取る情報が有益になるかどうかは、自分自身がソーシャルグラフをどうデザインするかにかかっている。

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インターネット上の情報は玉石混淆であり、しかもノイズのほうが圧倒的に多い。そのなかで意味をもつ信号を拾うためには、それなりにやるべきことがある。将来的にはテクノロジーがそれを解決してくれるのかもしれないが、あらゆる情報がフラットに並ぶいま、その取捨選択は人間と人間がつながった時代のなかで、最終的に各々のユーザーに委ねられたともいえるのだ。

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シェアラブルな世界では、参加者が「何者か」が問われる。それは「実名であれ」ということではない。提供する側にも、される側にも、継続的にその信用が担保されているかどうかが重要なのだ。優れたサービスはファンを生み、コミュニティをつくる。そこでは生産者も、消費者も、貢献度や愛着度合で計測されるのだ。

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多くの人々にとっては、時差的にマスコミュニケーションを超えるリアルタイムウェブに触れるなかで、それとは対極にある旧態依然としたコミュニケーション手法(企業や政府広報のそれ)が古色蒼然とみえたことだろう。リアリティを獲得した人たちの数が増えるほど、社会はウェブをコピーしていく

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企業の迅速さを促進させるのは「決断」だ。多くのベンチャー経営者は、決断だけを行なっているといっても過言ではないかもしれない。しかし日本企業はトップが交渉の場に出てきても、その場で決断しないことが多い。追って沙汰するといって部下やブレーンに検討させ、あとになってレスポンスが返ってくる慣習もある。トップの役割が形骸化してしまっているのだ。

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社会がウェブをコピーしはじめたいま、さまざまな業種で新たな定義の必要が生じている。もちろん深く熟考したうえで、既存路線を進むという決断もありうるだろう。そのほうが己の価値を高めるのであれば、もちろんそうすべきだ。  ビジネスの再定義、すなわち、「核心のデザイン」以外にも、人間中心主義の時代に企業が行なうべき“大きな”デザインはいくつか存在する。核心を探すとは、「目的」を見つけ出すことだ。「私たちの本来の魅力や価値とは何だったのか」を話し合うことで、自分たちのアイデンティティを探す旅に出なければならない。

*1:例えば中川淳一郎ウェブはバカと暇人のもの』など。これも良かった