悪の出世学 ヒトラー、スターリン、毛沢東/中川右介


書籍のタイトルは雑誌「SPA!」「Big Tommorow」の特集かと見まごうほどベタだが、これはある種の偽装であった。本書ではヒトラースターリン毛沢東の出生から死に至る歴史的事実と著者の簡潔な分析が淡々と語られ続ける。内容は陰惨で読んでいて楽しいものではない。胃のあたりに不快を感じることもある。しかし、読むのがやめられなかった。

三人の事跡のディテールを積み重ねることによって本書が提示する興味深いレッスンは枚挙に暇が無い。ここでは一つだけ紹介したい。独裁者が台頭してきた時における「インテリの弱さ」について。著者はスターリンの章でこう喝破する。

スターリンに反感を抱いている者は多い。中央委員会のメンバーのほとんどがそうだといってもいい。それなのに反スターリン派が結束できなかったのは、共産党の幹部となった者たちの多くがインテリだったからだ。彼らには自分なりの革命観、どのような社会にすべきかといった思想があった。理論があった。党内での論争は、そういう思想的な路線対立だったので、「スターリンは嫌いだ」という感情論だけでは結束できなかったのだ。

権力を維持するには、思想がないのがいちばんいい。  ある意味で、反スターリン派は真面目だった。そうしたインテリの真面目さは、ひ弱さでもあった。インテリの弱点を熟知していたスターリンは、そこにつけ込んだ。

上の引用は、今の日本に照らしても、政界・企業…色々な場面で考えさせられるものだった。本書にはこんな一節が沢山ある。



さて、本書内にところどころに、ビジネス・企業に喩えた話が織り込まれている。これがまた絶妙だ。

この時点での中国共産党毛沢東の状況を現在の企業にたとえると──ソ連製の「都市労働者の武装蜂起による革命」という商品を押し付けられた中国共産党の営業部隊は、懸命にそれを売り込んだが、中国のマーケットには合わなかった。そのため売上不振に陥り、低迷していた。だが、毛沢東営業部長は、マーケットに合った商品を独自に開発した。「地主から土地を奪い、農民に与える」という商品である。これは局地的ではあったが、ヒットした。しかし子会社の首脳陣はこの独自開発商品を認めず、「そんなものは売るな」「ソ連製商品を売れ」と何度も押し付けた。そこで毛沢東営業部長は「もう、こんなものは売っていられない」とソ連製商品を廃棄し、自分たちで独自開発した商品を自分たちで売っていく覚悟とその体制ができつつあった──そんな状況である。


そして、この「企業にたとえれば」の分量が全体に占める割合が絶妙の塩梅である点には感心した。多過ぎれば俗っぽくなりすぎるだろうし、少な過ぎれば、ビジネス人が興味を持ちづらくなるだろう。著者の緻密な計算が伺える。


内容とは別に文体もまた魅力だった。重厚ながらもリズム感がある。著者は本来、クラッシック音楽等芸術方面の著述・編集をされていた方らしい。内容の面白さだけでなく、この筆力もまたグイグイと読ませてくれる秘訣だろう。*1


三人の独裁者を語った本書である。自然、最後に三者を横比較で論じる著者の総括や後書きがあるのかと思ったら、それが無かった。三人目の登場人物、毛沢東の晩年を語り終え、そこでスパっと(ある種唐突に)終わる。そして、悪の出世学のポイントだけがリフレインされる。この構成も素晴らしかった。

*1:この文体の魅力により、他の著書も読んでみたいと感じた。