セッション(2014)/デイミアン・チャゼル監督

セッション(というか、Whiplash)見ました。

 


映画『セッション』予告編 - YouTube

いろいろサブカル界が騒がしかったこの映画。それらをシャットアウトして見に行き、後で確認する、という楽しみも堪能いたしました。というわけでこの騒動にインスパイアされた感じの少し長文で行きたいと思います。

 

映画としては普通に面白かったです。個人的にはもっと重厚で深い映画が好きなので「普通に面白かった」という感想になります。そして、ジャズ素人の私(とはいえ、劇中に人名として出てくるウィントン・マルサリスくらいは分かるしアルバムも少し持ってるから素人というのは卑下し過ぎ?)が言うのもなんですが、菊池成孔先生の気持ちもわかります。音楽愛が足りないように見えるのは気になりました。大体、邦題の「セッション」ですが、この映画で行われている音楽行為は「セッション」じゃないよね?と見終わった後すぐに思いました。まあこれは邦題をつけた側の問題ですが。

 

見ている途中から、「ああこれは典型的な父子相克展開だから、最後は主人公が父(フレッチャー教授)を殺して(乗り越えて)終わるんだよね。父に対置する母性キャラをリアルの父として置いているのも面白いね」などといっぱしの映画マニアみたいな見方をしていたわけですが、後半3分の1くらいはツイストの効いた展開でちょっとゾクゾクしました。「ああ、こういう形で乗り越えるのね」あるいは、「乗り越えたというか・・・何この関係、おもしれ」みたいな感想を持ちました。

 

映画の主題の一つは、テレンス・フレッチャー教授のセリフ、There are no two words in the English language more harmful than "good job"でありますが、普段経営学コンサルティングの仕事をしている私としては、このセリフによって反射的に世界の名著 「ビジョナリーカンパニー2 飛躍の法則 原題 Good to Great」を思い出してしまったわけであります。すなわち good is the enemy of great (「そこそこ良い」は、「最高」への敵である)というヤツです。これは結構深い言葉です。市場から突き抜けた存在になるためには「狂え」、ということ、否定はできないです。否定はできないけど、共感はできない、とか、コミットできない、というのが大半の普通の人の感覚だと思いますが、とはいえ、何か仕事やスポーツや芸術をやっている以上、心の中にフレッチャー教授を飼っていないと面白くないのかな、と思ったりもします。

 

フレッチャー教授役のJ・K・シモンズアカデミー賞の助演男優賞は当たり前ですね。怖いです。映画見た人同士だったら実社会でもドSのサイコパス上司を見かけたら「ほら、あの人指導がフレッチャー教授みたいな感じだからさ〜」などと言いたいです。が、身の回りにそんな会話ができる人が居ません。。。

 

さて、もう終演が近いタイミングでの投稿となってしまいましたが、どうせなら音響の良い映画館で見るべき映画だと思います。今回は歌舞伎町に新しくできた東宝シネマズで見ましたが(2014年末閉鎖されてしまったミラノ座への郷愁はありながらも)なかなか良いスクリーンとサウンドでした。というか歌舞伎町が健全方面に大きく舵をきっているのも印象的でした。と、なぜか歌舞伎町の感想でエントリを終わります。