ゼロ・ダーク・サーティ(2012)/キャスリン・ビグロ−監督


2011年5月2日に実行された、国際テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビンラディン捕縛・暗殺作戦の裏側を、「ハート・ロッカー」のキャスリン・ビグロー監督が映画化。テロリストの追跡を専門とするCIAの女性分析官マヤを中心に、作戦に携わった人々の苦悩や使命感、執念を描き出していく。9・11テロ後、CIAは巨額の予算をつぎ込みビンラディンを追うが、何の手がかりも得られずにいた。そんな中、CIAのパキスタン支局に若く優秀な女性分析官のマヤが派遣される。マヤはやがて、ビンラディンに繋がると思われるアブ・アフメドという男の存在をつかむが……。脚本は「ハート・ロッカー」のマーク・ボール。主人公マヤを演じるのは、「ヘルプ 心がつなぐストーリー」「ツリー・オブ・ライフ」のジェシカ・チャステイン

感想

ハート・ロッカーとK−19しか見てない自分が言うのもなんだが、この作品も監督のキャスリン・ビグロー節全開と言えるのではなかろうか。

本作含め3つの作品に共通しているのは、普段私達が暮らしている平和な世界の底や辺境の方にある、矛盾だらけの現場とそこで戦う人々を淡々と写す作品づくりだと思う。具体的に言うと、戦争の地雷の後始末、原子力対テロ戦争の最前線などである。そういう現場で体を張っている人がいる。そういう人たちがいるから、この日常が守られている(この監督は抑制的だからそこまで映画では言わないけれど)、というのがこの監督のコアの思想のような気がした。なんとなく村上春樹のテーマに通じるものも感じる。

オバマ大統領がテレビで綺麗事を言う画面の前で、「汚れ役」を担っているCIA職員達が淡々としているシーンが象徴的だった。

中盤が長い、ダレる、という意見もあるようだが、実際に捜査が遅々として進まない感とマッチしてこれはこれでありだと思う。だって実際、10年間、ビン・ラディンを見つけられなかったわけだし。

見た人は皆指摘するが、実際の暗殺襲撃が始まるシーンのリアル感(アメリカ版忠臣蔵の討ち入りという意見もあるが)は半端じゃない。アフガンからヘリコプターが飛んでパキスタンに入るあたりで見ているこちらもテンションが最高潮に達した。もちろん、この監督らしく、単純なアメリカ万歳の終わり方はしない。最後の投げかけは、主人公マヤに対してではなく、アメリカという国家に対してのものだと自分は受け止めた。

実話との関連で言うと、主人公の女性(必ずしも単独のモデルが存在するわけではないらしい)はエキセントリックな性格が災いして今もそんなに出世しているわけではないそうだし、ビンラディンを射殺した兵士は除隊して離婚、生活に困窮しているらしい。一人の英雄が敵を倒したのではなく、一人ひとりは無名で非力であっても、巨大な組織が有機的に動いて、ビン・ラディンというキャラ立ちしたボスを倒したということになる。この事実を「事実は案外ドラマ的でなくつまらない」と見るか「面白い」と見るか。自分は後者。

トリビア的指摘

途中で、偉い人が会議で「お前らもっと気合い入れてテロリスト探さんかい、コラ」とキレるシーン、なんか良かった。
マヤのテーブルの上のマグカップにOMGとロゴがあったのは意図的でしょうか。
あとは、僕のの専門関連としては、襲撃前の米軍兵士がヘリの中でアンソニーロビンスを聞いているというくだりがなんとも印象的。



更に余談

それにしても劇場がガラガラだった。このタイトルでは動員は難しいのは分かる。「実録 ビン・ラディン打倒の真実」というような邦題(サブタイトル)でも良かった気もする。そして、あまり人に気軽に「見に行った方が良いよ〜」というタイプの作品ではない。尺も長いし、前半の拷問シーンは見ているこちらも精神的にかなりキツイ。テレビCMその他情報ではあまり拷問のリアルさに触れていないので、気軽にフラっと入ってしまった人は冒頭から度肝を抜かれるだろうなぁと思った。(まあ、それはそれで良い映画体験かも)

このような事情から、この映画の存在を知っていてなお「ぜひ見たい」という奇特な人だけが行けば良い作品のような気もするし、この(アカデミー賞も狙えるほどの)力作を多くの人に見てもらいたい気もする。複雑だ。それにしても、映画のプロモに呼ばれた千秋や山口もえは本当にこの映画を通して見ることができたのだろうか。