映画は父を殺すためにある 通過儀礼という見方/島田裕己


映画は父を殺すためにある―通過儀礼という見方 (ちくま文庫)

映画は父を殺すためにある―通過儀礼という見方 (ちくま文庫)



町山さんのラジオで紹介で、購入を決めた本。とても良かった。


宗教学者の島田裕己が、「通過儀礼」を軸に、ハリウッドの映画、日本の映画を分析していく本。

通過儀礼とは、「人間が人生の重要な節目を迎え、ある状態から別の状態に変わっていくこと」を指す。代表的なものは、子供が精神的に「大人」に生まれ変わる瞬間(「自立」とも言うのだろうか)である。それは主として個人の内面的な変化であり、外部はまるで変わらないというのが特徴だ。

特にアメリカ映画というのは、父子の関係を通じて、この「通過儀礼」を描いているものが多い、とされる。斯様な話が好きな人にはぜひ読んで頂きたい。取り上げられている映画も「スタンド・バイ・ミー」「ローマの休日」「男はつらいよ」など有名なものばかりなので、特に映画に詳しくなくても大丈夫だと思う。



通過儀礼が上手くいかないと、「大人」になれない。中二病(笑)というのは、通過儀礼が上手くできていない人の名称でもあるのだろう。さて、自分自身はどうだったか、と考えてしまう。そして余計な御世話だが、周囲のあの人はどうだろう、と思ってしまったりもする。それより、なにより、自分も父として息子には殺される必要があるのだろう、と考える。(考えても仕方のないことなのだが)


ただし、通過儀礼というのは、子供→大人だけではなく、死ぬまで続くとの記載もあった。人間というのは、一生を通じて次々と別の部屋に入っていくような存在だとのことで、まだまだ自分自身も変化は続くのだろう。




ところで、町山さんは数年前にラジオで偶然知った映画評論家だが、最近、自分は中学生のころから沢山読んでいた「別冊宝島」は、この町山氏が編集していた、ということを知った。そういう下地というか文化的ミームがあったから30代になってからまた、彼の世界に興味を持っているのだと思う。縁とは不思議なものだ。

その町山氏のしたためた、本文庫の解説文が、内容もその筆さばき(最後の幕の斬り方)も最高なのでそれも非常におすすめ。