黒田総裁と反証可能性の無い命題

今、日本経済にとって最大のキーパーソンといえば総理よりも、日銀の黒田総裁であろう。

その黒田総裁の大変興味深いインタビューを読んだ。一読をおすすめしたい。


http://www.fsight.jp/16204



黒田 (略)ところが日銀は反証可能性のない「セントラル・バンカー仮説」で武装したまま、開かれた社会において具体的な目標提示をしてこなかった。私が過去20年近く日銀の金融政策の組み立てに問題点が多いと指摘してきたのは、この点だ。ヘーゲルは白馬にまたがるナポレオンがロシアを目指して烽火に染まるイエナの地に入城するとき、「見よ世界精神が行く」と評したというが、「世界精神」とは何を意味するのかがそもそもわからないし、したがって反証の仕様もない。それと同じような話だ。

 史的唯物論による未来社会透視の基本も「世界精神」に類したものだ。われわれは反証可能性のある命題を提示しつつ、細い尾根道を歩き続けねばならないのだ。何も言ったことにならない荒唐無稽な命題に束縛されるという傾向が、敗戦後の日本で見られた。イデオロギーというやつだ。今日までの日銀がこの当時の左派に該当するとは思わないが、日銀イデオロギーが存在したことは間違いない。ハイパー・インフレ批判は当然だが、金融政策の打ち出す基準について言えば、1つひとつが反証可能性のあるものであったかどうか。異次元の金融緩和には、1つひとつ反証可能性が埋め込まれていると考えてくれてよい。私はポパーの徒としての道を歩みたいと思う。

(略)

黒田 私は5年間の金融政策を預かった。2年で2%の物価上昇率にコミットしている。当然のことながらその後のことも考えている。財政規律の確立だけは、いかに経済のグローバル化が進行しようとも、主権国家がその運営について自らの責任をとらねばならない領域だ。日銀は国債を買い続ける銀行として突出しようとしている。自らの貸借対照表の資産の部に計上するものについて、バンカーとしてその価値維持に関心を払わないということはありえない。


ところで、この記事の中で、黒田総裁は、科学哲学者カール・ポパーの主張を引いた上で「反証可能性の無い命題」を掲げて世の中を扇動すること、について厳しく批判している。(その代表例がマルクス理論)

僕も自身が社会科学系の専門人のはしくれとして、この問題提起には考えさせられることが多い。というのは、経営や人事の分野なんて「反証可能性の無い命題」のオンパレードのような気がするから。自分も、そういうことを広めていないか、という自戒がある。一方で、人間社会は「反証可能性のある命題」だけで動いていくのではない気もするのだが…。これ以上はここでは語れない。

とにかく刺激的なインタビューだった。