世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析/斎藤環



斎藤先生の本を読むのは初めてだ。以下のインタビューがあまりにも示唆的だったので、本書を手にとった。以下のインタビューで本書の核はほとんど表現されていると思うが、個人的にはこの本も読んで良かったと思う。(軽い感じで流し読もうと思えばすらっと読めるし、真剣に論理を追えばかなり骨のある部分もある本だ)


ヤンキー的な気合主義が蔓延している
http://toyokeizai.net/articles/-/13068


本書は、日本に根強く存在する「ヤンキー的な美学」「ヤンキー賛美の風潮」について(どちらかと言えば批判的な立場から)分析を加えたものだ。ヤンキー的精神、ヤンキー的行動様式というのは「気合、と、アゲが大事」「筋を通す」「仲間・家族が大事」「夢を追う(ただし、夢の内容は問われない)」「ちょい悪は良し(やんちゃ、としてポジティブ評価)」という言葉に象徴される態度で、そこには「宗教的使命感」「個人主義」「真善美の探求」が欠けており、「反知性主義」の傾向があり、近代主義とは根本的に違うものだという。こう書いてしまうと、とんでもなく時代遅れなようにも読めるだろうが、これこそが、日本がここまで生き延びてきたコツでもあるのだ、と著者は指摘している。また、ヤンキーは、どの集団に所属するかは自由に選ぶのだが、ひとたび所属を決めれば、その集団の上下関係の中で頑張る、のだという。

これらの指摘は、企業の組織をずっと見ている僕としても非常によく分かる。日本人は会社は自由に選ぶが、ひとたびその集団に所属すれば、そのために頑張ることが「良し」とされ、「気合が入った社員であること」はかなり重要な評価要素となるのだ。(このノリの延長で、非正規社員にまで「気合」を求める傾向*1にあるように思う。)


他にも、日本人は坂本龍馬とか白洲次郎を神格化するが、そこにあまり「彼らが実際に何をしたか」という業績を分析する視点は希薄で(二人共実際に実証的に何をしたかがあまり問われていない)「なんとなくの存在感、生き方」で賞賛される、という指摘なんかも、人事評価を扱うものとして見逃せない指摘だった。


世の中をヤンキー的人間と、非ヤンキー的人間に分ければ私は後者だろう。ただし、そんな私にもヤンキー的な部分があることは認めざるをえない。


この二分法は人事コンサルタントとしても結構興味を惹かれる。ヤンキー的な成分が強い会社(職場)/そうでない会社(職場)。ヤンキーにまで通用するリーダー/そうでないリーダー。色々と面白い分析ができそうだ。



最後に。それにしても、素敵なタイトルで出版されたものだと思う。土曜の夜…ヤンキーが一番盛り上がる時間帯から来ているのだろう。売らんかなのために、扇情的なタイトルが付けられることが多い今の出版界にして、評論集という売れにくそうなジャンルなのに、なんと格好いいタイトルを許されたのだろう。編集者や出版社の人も偉いと思う。



蛇足

ヤンキー的成分の濃いスタイルで日本の一地域を中心に人気を博した政治家が、そのスタイルのまま、アメリカに「気合」を見せて啖呵をきったら、全く通用せずに逆鱗に触れたという例が最近あった。おそらくアメリカは日本的ヤンキー主義とは真逆だ。「真善美」の探求の延長線上にいる。もちろん、実現には程遠いのだろうが、その道を歩んでいる意識はあるのだろう。だから逆鱗に触れる。この日本と西欧のギャップは深刻だ。グローバル経営・グローバル人材と言ってる日本企業が深く考えなければいけない点だと思う。経営のグローバル化を阻むのは日本企業にも深く根ざした「ヤンキー主義的精神と行動様式」にある、と言ったら言い過ぎだろうか。