人事担当者や経営者ではない人が人事制度を学ぶ意味について

自分はHRM(人的資源管理)についての研修講師をすることが多い。人事部や経営者ではない人にこの分野の話をする際にどのように話したら聞き手の役に立つのか、ということについて、自分なりに試行錯誤を重ねてきた。

先日もこのテーマでクラスを担当する機会があった。そこで、説明したこと(あるいは説明したかったこと)を、備忘的にまとめておきます。

ちょうど、このクラスの前の移動時間に、橋爪大三郎の「はじめての言語ゲーム」というユダヤ人哲学者ヴィトゲンシュタインの思想を紹介する新書を読んでいた*1のだが、そこに非常に示唆的な言葉が記載されていた。


言語ゲーム:規則(ルール)に従った、人々のふるまい

(略)

「ルールを理解する」のと、「ルールを記述する」のとは違う。
「机」なら「机」という言葉の意味がわかることと、定義できることは違う。
小さい子は、言葉を自然に使えるようになる。でも「言葉を定義してごらん」とか「文法を説明してごらん」とか言われても、説明できない。

(略)

社会は言語ゲームである。

(略)

人間は誰でも、もう世界が始まっているところに、遅れてやってくる(幼児として生まれる)。はじめ、この世界がどんなルールに従っているのか、ちっとも理解できない。でも、それを見ているちに、だんだんわかるようになる。

かなり省略して自分が引っかかった断片だけを引用したので意味が伝わるかどうかやや不安なのだが、これらの言葉が幅広い人が人事制度を学ぶ意味を示唆していると感じた。

色々な企業に接していての実感だが、会社というのもまさにゲームだと思う。ここで言うゲームというのは、システムとかパラダイムというニュアンスでの“ゲーム”だ。社員はそのゲームのプレイヤーでもある。会社というゲームにも色々なレイヤーでのルールがある。人事制度はそのルールの一つだと言える。明文化されていないルールもあるだろう。その代表が組織文化だ。


その会社がどういうルールで運営されているか分かっているプレイヤーと、分かっていないプレイヤーでは、ふるまいが変わってくる。だから人事制度もよく理解しておけば、当然ビジネスパーソンとしてのふるまいに違いが出てくるだろう。


誤解して欲しくないのだが、僕は既存のルールに従って上手く点を稼ぐ、という生き方を進めているわけではない。ルールがよく分かる人を日本的な言葉で表現すると「空気が読める」となるのだと思う。あと佐藤優氏風に言うと「(ゲーム)の内在的論理を知る」となるのだろう。重ねて書くが、ルールを知っていることと、従うことは別問題だ。ルールを知っているからこそ、ルールを変えるように働きかけることもできるようになる。


以上の話は、個々の企業というレベルでもそうだし、社会とか国とか宗教というレベルでも同じことが言える。これを主に宗教という切り口で述べているが、先に紹介した本の後半部分であり、大変面白かった。


本書の末尾では思想的な領域での「価値相対主義」の乗り越え方が提示されていて、そちら方面にも若干興味があるのだけれど、どんどん人事から離れていくのでまた別の機会に。


はじめての言語ゲーム (講談社現代新書)

はじめての言語ゲーム (講談社現代新書)

*1:今年はこういうテーマの本を少し集中して読む予定