中国化する日本/与那覇潤


中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史



著者の言う「中国化」とは、


A:権力と権威の一致(皇帝に一元化)
B:政治と道徳の一体化
C:地位の一貫性の上昇(偉い人=頭もよく=能力も高い)
D:市場ベースで秩序が流動化される(地縁が解体されノマド的存在が出現)
E:人間関係のネットワーク化(セーフティネットとしての血縁、コネ社会)


である。


これらが中国においては「宋」の時代に世界一早く(ヨーロッパ近代よりも早く)成立していた、という認識を前提に、議論が展開されている。


日本は「宋」の前までは一生懸命中国の真似をしてきたのだけれど、宋で確立されたこのシステム以降はこれを受け入れず、日本的な世界を好んだ。これを著者は「江戸化」という。A〜Eにおいて、今の日本はほぼ「真逆」であるのは言うまでも無い。


この基本コンセプトに基づき歴史学の豊富な新しい知見により、論述されているのが本書である。


内容本題とは少しズレるが、個人的になにしろ楽しかったのは、以下のような著者のスタンスだった。

この際ですから書かせて頂きますが、世間一般で「近代の歴史に興味がある」という人々の「興味」の対象が、大概はこの手合い(引用者補足:結局は感情的な議論しかできない左翼と右翼のみなさん)ばかりであるのには、ほとほとうんざりです。上述の経緯はあるにしろ、論争相手とまともな議論をする度量も能力も喪失したダメな中高年世代が「とりあえず教科書に載せちゃえば、あとは詰め込み教育なんだからこっちのもの」という態度で刷り込みやすい子供の脳みその分捕り合戦をやっている様子が、私はすごく不快です。(P. 186)


著者はお若いそうだが、こういうフラットなスタンスで明快に語るは若手ゆえ、だろうか。非常にさわやかである。



一方、疑問だったのは、「科学技術」「産業技術」への言及である。政治的に見て中国が西洋よりも進んでいた、という話は説得的であるが、西洋(キリスト教)は科学技術を発展させ、それを普遍主義に乗せて世界へ拡張し、実際に制服した。この部分について中国はどうだったのか、「既に中華だったので拡張意欲が低かった」という理解だけで良いのか、ここはもっと書いて頂きたいところだった。


にしても、とても面白い本だった。今後は本書内で紹介された専門的な歴史書を何冊か読んでみたい。特に、小島毅先生の本は、(既に入門書は読んでますが)もっと読んでいきたいな、と思った。



あとは「ブロン効果」という著者の提唱する学術用語(笑)も面白かった。ビジネスパーソンの作文では「AとBの良いとこどりをして、ハイブリッド型で…」なんてしばしば出てくるのだが、それは「ブロン」の危険大だなのだな、と。「ブロン効果」についてはぜひ本書で確認頂きたい。