レ・ミゼラブル/トム・フーパー監督
実はこれは見ようかどうか迷っていた作品だったのですが、自分のソーシャルグラフで「見た」「見る」「良かった」という人が非常に多いので、お正月に見に行って来ました。
ミュージカルに苦手意識あり、原作もボンヤリ知っている程度*1(ある意味では平均的日本人?)の私ですが、この映画は「映画」と「ミュージカル」を上手く融合させた力作であると感じました。
役者さん達が立派
この映画には、企画を聴いた多くの役者さんたちが出演したがった、とのことですが、皆さん選ばれただけあって、凄かったです。
ヒュー・ジャックマン(as ジャン・バルジャン)の熱演は、「立派」の一言。「彼が居なければこの作品は撮れなかった」と監督に言わせただけはあります。若い頃から年寄まで、囚人からエスタブリッシュ(市長)まで、渾身の熱演でした。ジャン・バルジャン最強!と思いながら見てました。
アン・ハサウェイ(as ファンテーヌ)、評判通りの神がかり的演技。序盤のハイライト、「夢破れて」の歌唱シーンで、満場の映画館客席が全員固唾を飲んでいるのが分かりました。(1カットで撮影したらしいです)「ダークナイト・ライジング」でのキャット・ウーマンの成功といい、この人の女優としての格はうなぎ登りでしょう。
ラッセル・クロウ(as ジャベール警部)、ラッセル・クロウって自分の中で勝手に「若いイメージ」で止まっていたので、太っておっさんになったな〜と思いながら見ていましたが、実に堂々たる敵役でした。
サッシャ・バロン・コーエン(as テナルディエの旦那)、日本の宣伝ではサッシャ・バロン・コーエンが黙殺されているような気がしてならないのですが、予想以上にストーリー上でも重要な役回りでした。他の舞台等を見てないので何とも言えませんがが、この映画版のテナルディエには、バロン・コーエン本人のキャラが反映されているような気がします。ちなみに、これで自分は「ヒューゴ」「ディクテイター」と本作、で最近のバロン・コーエン出演作を全部映画館で見ていることになります。我ながら謎。
宗教的観点から思ったこと(ネタバレあり)
素人ながらに宗教的な分析をすれば、この作品は骨格のところで、とてもキリスト教的な作品なのだと思います。もっと立派な解説があると思いますが、2点だけ基本的なところを整理しておきます。
まず、そもそもジャン・バルジャンが「罪」を抱えた存在であるという基本設定。もう少し細かく言えば「そもそも罪を抱えていた上に、更に罪を犯す」という設定なのですが、これこそ、聖書が規定するところの人間存在そのもののです。私はクリスチャンではないので分かりませんが、いわゆる「原罪」というものを設定に投影しているのでしょう。
そして二点目。
キリスト教は、キリストが、律法重視だったユダヤ教を「決まりごとよりも愛が大事」というテーゼで塗り替えたことにより成立しました*2。(「キリストは律法を愛に変えた」)このストーリーで、主人公のジャン・バルジャンが体現するのは「無償の愛」。ジャベール警部が体現するのは「法」。ストーリー上で、この二つが対立します。そしてやっぱり、最後ジャベール警部は破れ、愛が勝つ。このストーリー自体*3が、とてもキリスト教的です。
もう一つ、おまけに。
それから、サッシャ・バロン・コーエンが演じたテナルディエ、これ、どこにもハッキリとした言及はないけれど、キリスト教サイドから見た「ユダヤ人」のイメージが投影されているように思えました。これは、自分の穿った見方かもしれませんが…。