ハート・ロッカー


ハート・ロッカー」 今年の2月にアカデミー賞を受賞した作品を見た*1

この映画の受け取り方(解釈)を巡っては、映画評論家の間でも意見が割れているとのことを知っていたのだが、自分は、素直に、自分の持っている知識と感覚でこの映画を見た。

その結果の感想としては、反戦映画でもないし、戦争礼賛映画でもない。今の世界の事実を単純に切り取った映画だと感じた。

アメリカがその内部に抱え、他所の国に対して行使している「暴力」。そのお陰で、(少なくとも今の)世界秩序は今なりの均衡点にいるわけだ。

アメリカ人に対して、同じ国民の中にこうした暴力に従事している人(そしてその人達は、みんな、確実に戦場で精神を病んでいく)が居るということを、単純に突きつけることが目的だったのではないかと思う。そして文字通り、戦争には中毒性があるというシンプルなメッセージもまた、それ以上でもそれ以下でもなく表現された作りだった。

延々と続く砂漠の中での爆発物処理シーン、評価の高いスナイパーシーンよりも、映画の最終盤で、巨大スーパーの整然とした棚の前で呆然と立ち尽くす帰還兵のシーンが自分にとっては一番強烈だった。

それにしても、ハードで殺伐とした映画で、男女でモノを語るのはどうかと思うけれども、女性監督がこんな映画を作ってしまうというのもアメリカの凄いところだと思う。というか友人らに「ハート・ロッカー観てきたよ」というと「ああ、あの“奥さん”の映画ね」という風に返されることが多くって、日本ではそういう理解なのか!?とすこし笑えた。

町山・宇多丸論争を聞いて(好事家向け*2


町山智浩氏の解説を聞いて

  • アメリカ軍を十把一絡げに見てはいけない。イラクがこんなにひどいのは、そもそもアメリカ軍のせいだろ。だから主人公がひどい目にあっても当然、という理解では不十分。それでは、「不祥事を起こした会社に勤めている人間=全員ダメ」という思考停止と同じ。
  • 戦争映画において、主人公のヒーローを「武装解除」が仕事の爆弾処理班として設定していることが、この映画のメッセージ。
  • イラクの爆弾テロは、アメリカ軍に対するレジスタンスというよりは、イラク人同士の勢力争いの面が強いのは定説。

という主張は、なるほどな、と思った。二点目と三点目は、いくらか突っ込みどころはあるけれど、一点目は、自分もそこにおいては認識が甘かった。

一方で、映画としてのそのあたりのメッセージの伝え方、演出法についてはかなり曖昧で、誤解の余地が多すぎ、というのは宇多丸氏の言う通りだし、彼は批評家ではなくクリエイターであるからして、その点に引っ掛かってしまうのは分かる気がする。

*1:今年は「一ヶ月に1本は映画館で映画を観る」という目標を立てたのだけれど、あまりのスケジュールの余裕の無さに早くも2月で一度挫折してしまったが、心気一転、GWを利用して今年三本目を見に映画館へ。この映画ももう公開終了でしょう

*2:興味のある方はここなど参照