CIRCUS 9月号 佐藤優の超・資本論より

我々が日常的に使っている言葉には、明治時代以降、文明開化の過程で欧米から翻訳されて入ってきたものが多い。

↑これは、珍しい指摘ではなく、言語学をかじっていれば知っている人などには知れたことである。「個人」とか「社会」というのも、明治時代に輸入してきた言葉であり、ということは、それ以前には日本にはそういう概念は存在しなかったということだ。

さて、佐藤優氏は、「批判」という言葉取り上げて、これもそうした「輸入」概念の一つだと言う。だから日本人はよくこの事が分かっていないのだ、と。

広辞苑でこの単語の定義を引くと、「批評し評価する」「否定的内容のものをいう場合が多い」とあるそうだ。

ここでいう「否定的内容のものをいう場合が多い」というのが、ドイツ語や英語から日本語に翻訳されたときに加わった独自のニュアンスなのである。この言葉の意味は、人物、行為、作品など考察の対象となる事柄について、まず偏見を極力取り去って、虚心坦懐に受け止めて、その上で、自分の評価を付け加えることなのである。それだから「あの人は素晴らしい。非の打ち所が無い」「私はあなたの意見に賛成です」というのも批判の枠に入るのだ。

日本人は、クリティカル・シンキングが苦手だとか、馴染まないと言われる中で、自分自身もその一員なわけだけど、この説明は分かりやすかったので、メモ。