承認欲求(前のエントリの続き)

承認欲求について考えていることを、引き続き書いてみる。



モチベーションや人々の振る舞いを、「承認欲求」という切り口で考えると、色々な事が見えてくる。

承認欲求は、誰でも持っているものだけれど、大体において、人は成熟するにつれて、承認欲求だけで暴走することは少なくなるように感じる*1

人は、キャリアを積み重ねることによって、自分の承認欲求を飼い慣らす、あるいは、上手く埋め合わせるすべを身につけていくのだ。*2



若手社員は、概して承認欲求が自らの実力に比べて高い。承認欲求が高すぎて、それが所属組織では満たされない、として(長期的に見ればあまり必要が無いと思われる)転職に走るケースはよくある。ただし、高い承認欲求は、高い仕事のパフォーマンスに繋がる、という部分もあり、一概に悪いとは言えないところが難しいところだ。




ところで、最近、山本七平氏の「人望の研究」という古い本を読んだ。


直接的に書いてあったわけではないけれど、本書の主張の一つは、「人望あるリーダーとは、自らの承認欲求を統御できる人物である」ということであると私は読み取った。


すなわち、「他の人を十分に承認し、自らの承認を特に求めず」が理想的なリーダー像と言える。こう書いてしまうと、聖人君子のようで、理想論に聞こえるかもしれないが、そういう人を目指して、ジリジリと歩いて行くのがビジネスパーソンの「人格的修業」なのかもしれない。



などと書くと、典型的な生真面目日本人の思考法*3と言われそうですが…。



参考文献

人望の研究 (NON SELECT)

人望の研究 (NON SELECT)

*1:例外は沢山ありそうですが

*2:承認欲求を満たしてくれる近所のスナックのママや行きつけのBarのマスターの役割は偉大である

*3:働くことと人格修養を結びつけてしまうあたりが我ながら日本的