自分のツイッターのタイムラインに対する疑問…


You are what you eat.という言い方がある。これに習えば、You are what you read.とも言えるだろう。

コンサルタントという仕事柄、また、プライベートでも家事育児で多忙を極めているため、「情報の摂取」については、効率と質と多様性にかなり気を遣って来た。それをテーマに講演をさせてもらったことすらある(笑)。

そんな中、世間的には遅まきながら、ツイッターを情報収集の手段として導入して3ヶ月が経つ。



今、迷いを感じてきた。

このまま、自分のタイムラインを見続けていて良いのだろうか。それは自分のプラスになるのだろうか、と、という迷いだ。

タイムラインを作って、眺めるようになってから、本を読んだりする時間が結構奪われているのは事実でこれは困ったな…と思っている。
あとは、友人のプライベート情報は、見るのは楽しいが、それに時間を費やしていていいのか?という事も思わないではない。



最大に問題視しているのは、自分で能動的にフォロワーを選ぶツイッターでは、結局、自分の関心事とか、嗜好性(志向性)に合致した意見ばかりが目に入ってきて、視野の拡張、多様性の刺激などに欠けるのではないか、ということだ。なんか良くない雰囲気を感じる。

(具体的に言ってしまえば、男性、都市生活者、高学歴、情報大好き、自己顕示的、自由主義思考、諧謔志向、サブカル好き、というあたりか・・書いてて少し情けなくなってきた)

それに、そのフォローも結構ささいな気持ちで気まぐれにするにも関わらず、その気まぐれなフォローが情報流入の質を決めていく、という事も冷静に考えると気持ち悪い。




自分がフォローしてるのが100人くらいと少数?だからこう感じるのだろうか。もっと無作為に何千人もフォローすれば多様性が確保されるのだろうか。あるいは、他の人の作ったリストを見れば良いのか。あるいは、無作為アンフォローを繰り返すのも良いのかも。


よく分からなくなってきた。




こういった感想を持つこと自体が、情報収集目的でツイッターを使うユーザーの誰もが通る道なのだろうか?
(友人との交流目的、発信目的等、ツイッターの使用目的は色々だと思うので、そういう場合は、こういう風には悩まないだろう)


自分で構築したもの(タイムライン)が、自分を制約するとしたら、皮肉なものである。


また3ヶ月くらいすると別の感想を持っていると思うので、記録として書いておいた次第。