いつだって大変な時代/堀井憲一郎

2012年1発目。



いつだって大変な時代 (講談社現代新書)

いつだって大変な時代 (講談社現代新書)



お正月に読んだ本の中から。お正月にこんなタイトルの本を読むのも少しひねくれ過ぎのような気もするが、どちらかというと昨年の間に読んでおきたかったのが先延ばしになっていて、年末に本屋に行ったときに買ってしまったので読んでいるだけで、敢えて正月にぶつけたということはない。


(本書解説より)

私たちはなぜ、いつも「大変!大変!」と言っているのか?
もしかしたら、大変なのは、経済や社会や時代ではなく、
そういうふうにしか考えられない私たちの頭のほうかもしれない――。


本書のメッセージは上記の枠内(そして本書のタイトル)に尽きている。
「今は大変な時ですよ〜」というのは大概、自己愛でしかない。


震災の前から連載されていたものをまとめた本で、最後の3章くらいのところで東日本震災が発生、という時代的背景の本。

とくに第7章は2011年の3月下旬、というとてもテンパった時期に書かれているのだが、以下の一節を読んで驚いた。自分が当時思ったり話していたこととまったく同じだったので。

そもそもいまの政府は、私たちの反映である。

あの人たちは私たちなのだ。私にはそうとしか見えない。私の中には枝野官房長官の部分もあるし、菅首相の部分もある。まさにあれは私そのものだ。

(本書179ページ)


当時(特にメディアやネット世論)は、政府批判・東電批判の大合唱だったのだが、自分はまさに上のように思っていた。

自分がこう考えたのは、どちらかというと近代市民社会論を勉強したからである。一方、堀井氏は、日本文化、身体性というものを掘り下げて行った結果、こうした思考に至ったようである。ルートは違うけれど、思ってることが同じ、というところがとても面白い。

(しかし、堀井氏も、落語のことばかり追っているように見えて、社会学や国家論の方もかなりのレベルで勉強されているようにも感じられる。ご本人はそういうことを言わないけれど、書くものの端々から、少しそれを感じる)


むかし、ラジオで堀井健一郎の話を聞いた際「あまり自分の好きなタイプの人ではない」と思ったことがある。今思えば、あのとき著者は機嫌が悪かったのだろうか。(あるいは聞いてる自分が不機嫌だった可能性もある)それが最近は、どんどん氏の著作を読んだり、ラジオを聞いたりしているのだから不思議。