階級「断絶」社会アメリカ 新上流と新下流の出現/チャールズ・マレー


階級「断絶」社会アメリカ: 新上流と新下流の出現

階級「断絶」社会アメリカ: 新上流と新下流の出現

面白かった。白人で70歳を過ぎたリバタリアンが書いている、という事前情報から、白豪主義のマッチョ論かと思っていたら、そんな浅薄なレベルではなかった。特に、リベラル(社会民主主義)とリバタリアンの根本的人間観の違いに遡って論じる最終章は読み応えがあった。


とても良い本だと思ったので、自分なりに本書の主張をまとめみた。


本書主張のまとめとパンチラインの抜粋


アメリカを世界の中で特異ながらも魅力的で強い国たらしめてきた精神とは、「人間は個人として、家族として、自らにふさわしいと思う人生を生きる自由を維持したままであっても、互いに力を合わせて社会問題を解決することができる」というもので、これを実証する努力がアメリカン・プロジェクトである。タイトルにもあるように、このアメリカンプロジェクトが崩壊の危機にある。

崩壊の理由はかつてなかった階級の分離である。特に新上流階級と新下流階級の誕生と固定化である。原題のComing Apartとあるように、それぞれが社会の中で交わることもなくなった。アメリカといえばトクヴィルが指摘したように中間集団の国であったはずなのに。

P 441より引用

アメリカ人の資質のもっとも憎めいないところは、実際にはそうでなくても自分は中流階級の一員だと考える伝統、そして誰もが中流階級であるかのように交流しあう伝統だと私は思う。 (引用者注・それが今や無くなってしまった)


新下流階級においては、自立・信仰・勤勉といったアメリカをアメリカたらしめてきた規範が既にボロボロに崩壊している。収入の問題はおいても、家族や仕事とおいった点で、彼らには幸せを感じられる可能性が少ない。これは国として大いなる危機である。


一方、新上流階級は、アメリカ全体の現実についてあまりにも無知で無関心で、無責任である。自分たちの世界だけで生きている*1。一部の経営者が法外な給与を取っている姿は、私からすれば見苦しいの一言である。

P426より引用

彼らは個人あるいは家族として成功している。しかし、規範を作ってそれを社会に広めるとう責任を果たしていない。それどころか、上流階級の中で最も有力で最も成功している人々が、ますますその地位を利用するようになり、それが見苦しいおこないかどうかなど気にかけなくなっている。しかも、新上流階級の人々は政治的に積極的でありながら、国民の日々の暮らしを支えるために自分の地位を活かすという場面になると、急にそっぽを向いて職務離脱するのである。


処方箋は何か。ヨーロッパ型の福祉国家は理論的基盤に問題がある。福祉国家はかならず財政破綻につながる。また、福祉国家は人間の資質は平等である、社会的階層は生まれにより大きく左右され本人の責任ではない、とする2つの理論的基盤を持っているが、これは最近の科学の進歩により覆される可能性が高い。

アメリカは、政府の援助ではなく、価値観や道徳規範を改めることによって復活すべきだ。過去にも、何度かの精神的運動があった。特に、新上流階級に、アメリカの価値に気づいて欲しい。


P 442より引用

わたしは利益を放棄しろと言っているのではない。ただ、そもそもあなたがたの真の利益は何なのか?それを新上流階級の人に早く気づいて欲しい。(略)要するに、アメリカの新上流階級がもう一度、アメリカを特別にしたものに夢中になるしかないのである。もちろん、個別の法令や最高裁判決によってアメリカ人の資質が失われつつあるこの流れを少しは緩めることができるかもしれない。しかしそれは速度を緩めるだけで、流れを止めることには繋がらない。流れを止めるためには、私達全員の自覚が必要である。

所感

政府の政策に頼らず、意識の覚醒を促す、というところがリバタリアンとされる所以なのだろうか。銃規制の問題やITについては本書では論じられていなかったが、この著者が何というか興味がある。

それにしても、このような本が多少値段は高いけれども、邦訳されて日本語で読めるのだから日本人で良かったし、草思社と翻訳者の方に感謝したい。(訳、読みやすかった)

さて、日本における、この「アメリカン・プロジェクト」に該当する根本精神はなんだろうか。佐伯啓思先生などがよく論じているが、なかなか難しい厄介な問題だ。これが分からない*2から、再興も難しい。もっとも、国の根本精神がかなりの程度明文化可能というのは、世界の中でもアメリカに特異なことなのかもしれないとは思う。

*1:学歴や居住地において実際に孤立していることが実証的に論じじられている

*2:「絆」とか?…