東日本大震災の被災地を訪問したこと(1)


この土日に、東日本大震災津波で大きな被害を受けた被災地、気仙沼陸前高田に行って、桜の植樹をするというツアーに参加してきた。感想を記録しておきたい。



まずは初日に気仙沼入りしたこと。


震災発生当時から、何か現地の力になりたいと思いつつ、これまで諸事情により身を運ぶことはできず、稼いだ原稿代で寄付金を贈るくらいだった。そんな折、会社の先輩がある支援団体の幹部を務めているということを偶然知り、その御縁もあり今回のツアー参加となった。あまりに平凡な感想だが、やはり現地に行ってみて初めて感じることは多い。おそらく事態・問題の表層の1mmくらいなのだとは思うけど、やはり現地に来て考えることは多い。


初日は、一ノ関経由で気仙沼に入った。ツアーは20名のため、岩手の観光バス会社のマイクロバス貸切である。有名な「打ち上げられた船」第十八共徳丸のところで、バスをおろされた。*1まず、この場所の周囲の風景が凄まじい。2年が経過しているため、瓦礫はないが、基礎が剥きだしの更地になっている。戦争でもこうはならないだろう、というくらいの光景である。僕は出不精なのであまり旅行をしてきたたわけではないが、こんな得も言われぬ空間に身を置いたことはない。その中に船があるわけだが、訪れたのは土曜日ということもあったのか「観光名所」化している。献花台もあり、祈りを捧げる人もいる。自分は「のんきなカメラ小僧」になってはいけない、と一旦は、NIKON-D5100をバスに置いてきたのだが、「ここまで来る人も少ないからこの光景を撮って伝えるべきか」などと考えて結局、カメラを持ちだしてきて写真に収めた。*2
 その後、気仙沼港の海岸をバスで走る。バスに同乗したツアー関係者が色々と解説してくれる。「右手に見える建物は…」非常にありがたい反面、すでに漂白された体験になりつつあることにも何とも言われぬ感情になる。




そして、ホテルに到着した。ホテルは、報道機関の支局が開設されていたりして賑やかである。ここでも(観光)タクシーの案内が貼ってあり、5000円くらい払うと、「被災地の名所」を回ってくれるらしい。これを不謹慎ととるか、それでも被災地にお金が落ちるなら良い、ととるか難しいところである。現時点で、上記の船や陸前高田の奇跡の一本松などの保存or解体がイシューになっていることは、確かにああいう分かりやすいものがある、ということは「観光」のためには重要なのだということなのだろう。



ホテルに入ったあと、復興屋台村、というプレハブの施設(飲食街)で買物や少し食事をした。自分に出来ることと言えば、気仙沼で散財することくらいだ、とガッツリ現金を持ってきたのだが、これもまた考えだすと難しい。そもそも、最も困っている人であろう人たちは工場も何もかも流されて商品を供給出来る状況にほとんどない。今、ここに商品が並んでいるということは、まだ比較的軽微な(とはいっても極めて甚大な被害なのだろう)会社ということも感じたり、少し話を聞いたりした。このプレハブも時限措置らしい。いろいろ悩んでも仕方ないのでお土産を大量購入した。今まで東京でも、ネットとか物販店とかで、被災地支援という商品を沢山見たが、どれが本当に支援になるのか、話は単純ではないな、ということを実感した。正直「それ便乗?」というものだってあるのだろう。とはいえ、細かいところで悩んでも仕方ないのだろうが。。。



ちょうどこの頃は、夕暮れ時だったのだが、気仙沼港の風景はとても美しく、三陸の港の魅力というのは十分に感じられた。翌朝6時からは、連れてきた長男(5歳4ヶ月、事態はあまり飲み込めていない)と廃墟のようになってしまった無人の港街を2人きりで歩いた。これから20年先、30年先に色んなことがどうなるのか考えながら。(続く)



*1:訪れた日は「維持するか解体するか」で議論になっているが解体の方向へ、というニュースが出ていたあたりだった

*2:やはり、勘違いしたバカがピースの姿で写真を撮ることがあるようで、その種の行為を慎むように促す看板があった