1Q84 BOOK3 村上春樹

「街とその不確かな壁」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と「1Q84


自分は村上春樹の小説を全て読んでいる上に、全集まで持っている。全集には、そこでしか読めないオリジナルの「著者解題」がついている。これが欲しくて全集を買った。それを参考に、1Q84 の感想を。

二つの世界を並行して進めていくという小説の構成において、1Q84と「世界のハードボイルド・ワンダーランド」はよく似ている。

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の著者解題にはおおむね、こんな事が書かれている。

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の前には、「街とその不確かな壁」という小説があり、それは文学界という雑誌には掲載はしたが、著者本人としてまだ書きたいテーマに実力が追いついていないことを感じ、その後の書籍化や全集収録を拒否した。その後悔をバネに、「世界の終わりと・・」を書いた。この小説で二つの世界を並行して語ることで小説を作るという方法に初めて取り組んだ。この作品は著者にとって非常に重要な作品で、その時点での力を振り絞って書いたし、何かを掴むことができたと感じている。しかし、一方では、まだどこか未完成あるような気がしている。


さらに、興味深いのは「世界の終わり・・・」についての村上春樹の以下の記述だ。

今だから言えることだけど、「僕」と影がどうなるかという結末のつけ方は書き直すたびにがらっと違っていた。普通は最期に辿り着くころにはちゃんと結末が頭に固まっているのだけれど、この小説に関してはまったく駄目だった。

(略)

「僕」がひとりで「森」に残るという選択肢は苦しみに苦しんだ末にやっと出てきたものだった。もちろん、今はこれ以外の結末はありえないと確信しているけれど。

自分はこうした村上春樹の発言が頭にあったので、『1Q84  BOOK3』の結末のつけ方は、大変興味深く受け取った。

BOOK 3について

自分は正直に言って、BOOK1・2で終わる物語で良かったと思う。BOOK1と2では、愛・宗教・神・組織と個人・時間・文学・虐待・親子の断絶・幼少期の決定的な体験等々が、総合的に盛り込まれた小説であったのが、BOOK3では、そのうちの幾つかに意図的に絞って語られた感がある。筆致も、なにかBOOK3はあまり迫ってくるものが無かったように思う。BOOK1の第1章を読んだときはその筆致の妙に鳥肌がたったものですが。BOOK3で良かったところを強いて挙げれば、タマルが相変わらずカッコイイところ。

鼠の消失


ところで、1Q84 BOOK3を読んでいた日の朝、自宅のドアを開けて新聞をとりに出たら、驚くべきことに、自宅玄関の前でネズミが死んでいた。こんなことは初めてだ。これは何かのメタファーかと思った。鼠と書いた方が、村上春樹ファンには伝わるだろうか。BOOK2でタマルの話の中に彫刻として出てきた鼠(ネズミ)が完全に死んだBOOK3、というと、深く味わい過ぎかもしれないが。

まあ、高円寺もよく知っているし、去年は千倉を訪ねたりと、何かと身近に感じられる小説であった。