実体的真実主義から適正手続き主義へ

11月14日日曜日の日本経済新聞の中外時評  「輝き失う検察の金看板」適正手続きに書き換えのとき という記事が面白かった。


記事は、米国の検察と日本の検察のそもそもの役割が全く違うことを指摘する研究を引用し、

「日本の検察官は単に『おおよその真実』を解明しただけでは、アメリカの検察官のようには満足しない」「日本の検察の刊行物には『検察官の第一の役割は、事件の真相の解明にある』と大胆にも強調されている」


 米国では法学者や検察官が「検察官のいう『事実』とは推測のことである」「われわれが求めるものは正義であって、真実ではない」「捜査を通じて真相を解明するなどということは職務の範囲外」と考えるのだから、確かに別世界だ。


 米国では犯罪件数が多すぎるなど「真実をまともに追求しようとしても、思うようにいかない」(同書)事情もあるが、意識の底に、そもそも過去の出来事の真相解明は人知の及ぶところではない、との哲学があるのかもしれない。


と書いている。このあたりからして、大変興味深い。


さて、この記事では、最後、実体的真実主義から適正手続き主義への転換の必要性を示唆して終わっている。


僕の職業的には、企業内の「人事考課」にも繋がる哲学的論点として、興味深く読んだ。人事考課も「被評価者のの真実を明らかにできているか」ということから「適正な手続きと言えるか」という方にシフトしていくのではないだろうか。