日本経済新聞 私の履歴書 前田勝之助 


私の履歴書」この10月は、東レで長く経営トップを務められた前田勝之助氏。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E5%8B%9D%E4%B9%8B%E5%8A%A9


なんとなく、面白くなる予感がしていたが、やはり期待通りだ。

(10月9日より)

新入社員が最初の配属先を拒否するなど前代未聞だったのだろう。「お断りします」という言葉を聞いた人事担当常務は薄く口を開けたまま私を見ている。部長と課長も塑像のように動かない。

 これには経緯があった。部課長と大岡さんという係長から事前に希望を聞かれていたのだが、私ははっきりと「研究所は望んでいません」と伝えてあった。

 「大学院を出ているんだろう? なぜ研究所がいやなんだ」「東レの研究所に行くくらいなら大学に戻ります。大学の研究室の方が設備がいいしレベルも高いですから」

 実際、京都大学の小田良平教授は「いつでも大学に戻ってきなさい。席は用意します」と言ってくださっていた。

 部長、課長とも私の言葉を本気で聞いていなかったとしか思えない。「難関の試験を受かって入社してきたのだ。大学院卒だし研究所への配属に文句を言うことはないはず」と考えていたのだろう。

 「失礼します」と言い残して部屋を出た私を、大岡さんが追いかけて呼び止めた。元海軍の機関大尉だったこの人はレイテ沖海戦で砲火をくぐっていた。根は技術者で腹が据わった物言いをする。

 「本気か?」「本気です」「なんでそんなにこだわるんだ」「技術を日本復興に役立てたいんです。研究するために東レに入ったのではありません」「では現場での技術開発だったらいいんだな」「そうです」。そして大岡さんは常務の部屋に戻っていった。

この時代、東レ、あるいは日本企業全体がベンチャースピリットを持っていたのだな、と思う。

それに、こういう人材でも経営トップに上り詰めることができるのが、日本の一面でもあることを示すエピソードだろう。


ちなみに、書籍「ビックツリー」「そうか、君は課長になったのか」などで有名になった佐々木常夫氏は、経営企画担当として、当時の前田社長の下で働いたそうである。